壬生一郎 『信長の庶子1,2』

信長の庶子 一 清洲同盟と狐の子 (ヒストリアノベルズ)

信長の庶子 一 清洲同盟と狐の子 (ヒストリアノベルズ)

信長の庶子 二 信正、初陣 (ヒストリアノベルズ)

信長の庶子 二 信正、初陣 (ヒストリアノベルズ)

内容(「BOOK」データベースより)

時は戦国。織田信長の長子帯刀は、母の身分が低すぎて家を継げない運命にあった。彼の望みは、家族兄弟仲良くすること、戦乱が早く終わること。『狐』と呼ばれる母直子から摩訶不思議な謎知識を教えられ、織田家や領民たちを助けていく。それはやがて父信長を、昇り竜のごとく天下へと駆け上らせて…!?戦国IFエンタメの決定版!

『信長の庶子』
個人的に『小説家になろう』における完結済の歴史ジャンルの中では最高峰とも言える作品です。
web版完結後、一年以上の年月を経て書籍化されたことはかつての読者として非常に喜ばしいことでして、早速1,2巻を購入してみました。
以下、2巻まとめての感想なので、いつもより長いです。




小説家になろう』の歴史ジャンルでは、いわゆる転生ものが多いです。どちらかと言うと、織田信長豊臣秀吉徳川家康を始めとするメジャーな人物ではなくマイナーな人物が流行りですね。
史実で戦死・処刑・謀殺といった無残に死ぬ運命がわかっているため、幼い内から未来を変える奮闘する。あるいはメジャーな人物の身内に生まれ変わり、サポートに徹して歴史を変えていったり、歴史の流れを速めていく。
本作においても未来知識は出てくるのですが、一般的な転生ものとは一線を画しています。
主人公である織田信正(登場時点では帯刀)は未来からの転生ではありません。
そもそも織田信正村井貞勝の養子ともなったので村井重勝とも)は織田信長の庶長子*1とされている人物です。
しかし、一級史料には記載がないこと、94歳という長寿の割には何をしていたのかほとんど不明なこともあって、実在した人物ではないのではと考えられているようです。
信長の子と言えば信忠・信雄・信孝が有名。付け加えれば秀吉の養子となった秀勝とか美濃・岩村城での攻防で敗れて武田に連れ去られた勝長(信房)くらいでしょうか。
私もこの作品に出会うまで信正のことを知りませんでした。
主人公を語る上で欠かせないのが母である直子の存在です。
直子も後に信長の重臣となる原田直政(塙直政)の妹で信長の側室だとされる人物ですが、信正と同様に実在したかどうかは不明。
生没年不詳ですが、作中では信長より四つ年上としています。
そして、直子こそがこの時代の女性らしからぬ思考と行動力の持ち主で、子である帯刀に大きな影響を与えたことで、なんらかの謎(転生者?)があるのではと思わせているのです。


1巻の内容としては、プロローグと大幅加筆されたラストによって、直子が濃姫と婚約する前の信長と出会い結ばれた末に帯刀が生まれたということになります。
直子の持つ不思議な知識*2と行動、特に肉食や書物狂いといった数々の振る舞いから『狐』と称された女性であり、若き日の信長が興味を惹かれたという。
信長から求められるたびに当時貴重であった書物を取引条件とするなど、当時としては非常識溢れる少女であったそうな。
そうした直子による英才教育(?)を受けた帯刀(信正)は武よりも文の才が磨き上げられて、文字の効率的な習得のために帯刀仮名を始めとした斬新なアイデアを考案・実施します。
それらを信長が取り上げたことにより織田家中で注目を集めるようになっていきます。
もっとも、まだ元服前であった帯刀に知恵を授けていたのは直子であったのですが。
文字を始めとした改革では、それを面白く思わない保守派の大人たちとの対決、特に林秀貞との論戦が熱かったです。
一方、織田家中における家督を継がない庶長子という立場を明確にしつつ、奇妙丸(信忠)を始めとした兄弟姉妹との仲を取り持つ描写が非常に良かったですね。
帯刀のおかげで信雄・信孝には確実に良い影響が出ていきそう。
信雄は馬鹿だけど憎めないしキャラとなっているし、お市とお犬の美人姉も強烈ですね。あの二人に逆らえる弟はいないだろうなぁ(笑)
桶狭間の戦いの前後を含め、まだ尾張国内で一族でさえ敵となる織田家をまとめるために信長が奮闘していた頃は後の有名武将たちも若くてエピソードに困らず、本当に面白いです。


ともかく、史実(俗説も含む)をベースにした丁寧で落ち着きのある文章であり、歴史好きが読むに耐える質の高い内容です。
もちろん、主人公と直子、信長といった主要人物が充分輝いているからというのもあるんですが、1巻ではお馴染み木下藤吉郎(仇名であるサルを美化して斉天大聖と呼んでいる)や主人公と同い年で仲良くなった森可成の嫡男である可隆とのやりとりも物語の面白さを引き立てています。
その一方でラストに大幅書き下ろしとなった「直子の章」で気になったのが、彼女の語った天下統一への道筋が史実の流れとは違っていたことですね。
書籍版に伴い、彼女のエピソードをボリュームアップしたのは良いのですが、あえて別の歴史にする必要があったのか?
直子の神通力からすると、史実のままで良かったんじゃないかなとそこだけ気にかかりました。


2巻では織田信長が美濃を平定。先の将軍義輝の弟・義昭(現時点では義秋)を旗頭にして上洛準備に取り掛かるところから始まります。
京への通り道にあたる北近江に勢力を張る浅井氏の当主・直政には史実通りに信長の妹・お市が嫁入り。
ちなみに主な出来事は史実通りに進んでいますが、一年くらい早まっているようです。
帯刀は上洛作戦前に使者として小谷城へと向かい、磯野員昌との知己を得ます。
しかし、当主である直政との対面は叶わず、代わりに現れたのは隠居した先代の久政。
隠居したとはいえ隠然とした権力を持ち、浅井家の中では親朝倉・反織田派の中心人物である久政との対談は帯刀にとっての試練でもありました。
1巻の林秀貞といい、どうも帯刀の前には癖のあるジジイが立ちはだかるようで。
その後、見聞を広めるために紀伊半島をぐるりと回る旅に出るのですが、そのお供として付くのが前田慶次郎と奥村助右衛門(永福)というコンビ。
かつて慶次郎は帯刀の”師匠”であったらしく振り回されてばかりいます。
その快男児ぶりは『花の慶次』を彷彿させるものであり、道中で弄られる帯刀はたまったもんじゃなりませんが、読む分には楽しいものでした(笑)
続いて、本願寺の本拠となっている大坂の寺内町に入った一行は正体を隠したまま歓待されたり*3松永久秀と対面*4したりと濃い道中を過ごして帰国します。
かつての筆頭家老との舌戦や帯刀仮名の考案、それに母に強要されるようにして書いたコメディ話『ゲン爺物語』が広まったこともあって、各地に帯刀の名が知られていることに驚くのですが、それさえも直子の作戦なんじゃないかなぁって思っちゃいますね。


また、信正はそれまで住んでいた古渡城の正式な城主となって配下が揃うのですが、この面子がなかなか渋い。
かつて浪人時代の木下藤吉郎が仕えていた縁で今川家を見限ってやってきた松下長則・加兵衛(之綱)父子、病弱のために弟(利家)に家督を譲った形にされた前田利久、伊勢の城主であったが織田軍に敗れた後、北畠家の養子となった信雄の計らいで仕えるようになった大宮景連*5、そしてなんと”へいうげもの”古田佐介まで。
歴史上においては脇役だけど、文武がバランス良く揃っていて、これから初陣を迎える若き主君を盛り立てようという意気込みが良いです。


そういうわけで、18歳となった信正が初めての戦に臨むことになるのが2巻後半のメイン。
上洛して足利義昭を15代将軍とした信長は畿内周辺の制圧にかかりますが、三好三人衆を始め敵は多く、不穏な情勢が続きます。
そんな中、信正も老獪な連中に振り回されて己の未熟さを噛みしめながら、一歩ずつ着実に進んでいくその心情が丁寧に描写されているのが特徴と言えましょう。
書きたいことがありすぎてきりがないのですが、2巻で特に強く印象に残るのは初陣での竹中半兵衛との関わり。そのきっかけとなった一人の若者の死。
信正目線による武将たちの印象もなかなかユニークです。
一方で信長の親馬鹿っぷりはやっぱり笑えます。
身内に甘くなったのは尾張統一まで一族と血を血で洗うような戦いを繰り広げてきた反動なんでしょうかね。
さらに重要なのが信正の嫁取り。
自身と同じ立場である信長の庶兄・信広の娘・恭姫と結婚したのですが、年も近くて仲睦まじい様子にほのぼのさせられますね。
実は2巻の特別書き下ろしとして、「恭の章」が追加されています。
元来おとなしくて引っ込み思案であった恭姫にとって、伝え聞く帯刀の逸話はとても心躍らせるものであり、さながら彼女にとっての英雄のような存在になっていったのです。
一度も会ったことのない相手は当たり前。時に年の差がある政略結婚が当たり前の時代。そんな中でずっと憧れていた殿方と結婚できた恭の喜びが充分伝わってくる素晴らしい内容でした。

*1:一番目に生まれたが、母の身分が低いので後継ぎにはならない子

*2:転生者に関しては1巻ラストの書き下ろしで明かされる

*3:実はバレている

*4:案内を務めたのが一向一揆に加担したことで出奔中の本多正信

*5:弓の達人で攻略中の秀吉の太腿を打ちぬいたエピソードが紹介されている