朱川湊人 『わたしの宝石』

わたしの宝石 (文春文庫)

わたしの宝石 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

女性の前で男性が「さみしい」と口にする時、きっとさみしさは、その瞬間に消えているのです。じんわりと心をえぐる、特別な愛のストーリー6編。

主に昭和40年代を舞台にした、心にぐっとくる短編集。
何十年経っても心の中に残る、きらきらとした宝石のような思い出をテーマにしていると言えましょう。
昔は良かった、という言葉は多分に思い出補正が入って美化されているもの。
逆に今の方が格段に良くなっていて、昔の方が至らない点もちゃんと描かれているのが公平であるし、辛さを感じる部分でもあります。


「さみしいマフラー」
交通事故に遭って死にかけた影響か、人の寂しいという感情が見えてしまうようになった私。
それは女手一つで育ててくれている母であったり、逆に母がいない近所の年下の男の子であったり。
悲しみを知っている人ほど、人に優しくできるということがなんとなくわかる作品。
叶わないと知りながらも「好きだった」と告白しながら電車に飛び乗った幼馴染の少年と、久しぶりに会って「さみしい」と口にした(かつて私が片想いしていた)男性。
その両者がとても対照的だったのが印象に残りました。


「ポコタン・ザ・グレート」
道家の父と美人で嫋やかな母のもとに生まれたポコタンこと奈保子は残念なことに父に似てしまう*1が、両親から愛情たっぷりに育てられて、顔が不細工でがっちりした体格であることも気にせず素直に育ちました。
しかし、子供の世界は残酷で、特に容姿に関してはオブラートに包むことなく散々に言われます。
さすがに本人も中学生になる頃には自分がテレビに映る可憐なアイドルのようにはなれないことを悟るのですが・・・。
世間は見た目が良い方が得するのは確かであるけれど、それでもめげないポコタンのまっすぐな生き方が眩しい。
誠を尽くしたポコタンが幸せを掴んだのも喜ばしいかぎりです。
最後に息子目線で語られていることがわかり、名前の由来にクスっとしてしまいます。


「マンマル荘の思い出」
主人公が小学一年の時に母と引っ越したのは共用部分が多い昔ながらのアパート。
実は父親からの暴力から逃げてきたことあって、住人との距離感が近いアパートでは癖のある大人たちから可愛がられて、楽しくて、宝物のような日々であったという述懐が続きます。
他人からの干渉を極力避けがちな昨今のマンション・アパートとは違い、昭和の頃の安アパートはこんな感じだったのだろうなぁとなぜか懐かしい感じがするのですね。
自分じゃ経験してなくても、昔読んだ漫画で当たり前に描かれていたせいか。
子供の頃に過ごした場所が大人になった頃にはすっかり様変わりしてしまっている。
それを寂しく思う気持ちはよくわかりますね。
それでも大家さんの願いが叶えられて、しっかりと形に残っているのが良かったと思えたラストでした。


「ボジョン、愛してる」
結婚もしないまま中年になった主人公が偶然見かけたテレビで韓国のアイドルグループの一人に魅せられてしまいます。
たちまち夢中になって、グッズを集めたり特典目当てにCDを複数購入。果てはファンクラブに入ってコンサートチケットを買うまでに。
親しい友人に呆れられてしまうも、本人はファンになったことを恥じることなくて・・・。
かつてのアイドルブームとは違い、いい年して韓流アイドルにハマってしまった男性の心理を綴ったといえるでしょうか。
共感はできないけど、理解はできなくもないです。
それに主人公は不治の病に罹って先が長くはなく、遺言的なかたちとなっているので、熱が冷めることなく人生の最期を迎えようとしているのが救いでしょうか。


「想い出のセレナーデ」
かつて歌うことが好きな女の子がいて、幼馴染の二人はいつも一緒であった。
中学生になると一緒にいることは減ってしまったが、それでも会えば話すことはあった。
一度中学受験に失敗していた”僕”は高校こそいい学校に入るため受験勉強に懸命で、彼女のSOSに気づくことなく・・・。
彼女に訪れた不幸、そして”僕”の無力さが読んでいて辛かったです。人は誰しもヒーローやヒロインにはなれることはないとはいえ。
辛かった人生の記憶を無くしても歌だけは忘れなかったことが感動のラストとして心に残りましたね。


「彼女の宝石」
大学時代、誰しもが夢中になるほどの美貌の女性がいて、他の男のようにアタックすることは最初から諦めた”僕”は同じクラブに属しながらも、距離を置いて見守るしかできなかった。
社会人になって、彼女と再会した”僕”はただの友人であったとしても、付き合いが始まって有頂天になります。
実は彼女には東南アジア某国の山村に住む子供たちのために学校を建てるという夢があって、それを実現するために大手ゼネコンに入社したのですが、回されるのは美貌を活かすような仕事ばかりなのが不満でした。
女性の社会進出がようやく始まった頃、まだ親の世代は結婚こそ女の幸せだと固く信じていて、突拍子もない夢を持っていても実現は難しかったことでしょう。
才色兼備の”色”が飛びぬけていたことが彼女にとっては不幸でしかなかったというか。
客観的には不倫して飛び出していった彼女に責があるでしょう。
でも、”僕”の想いを読んでいくと、やはり夫婦間は当人同士じゃないとわからないことがあるのだと言えましょう。
この二人は運命の人ではなくて悲しい結末になってしまったけれど、短かった結婚生活は決して不幸せではなかったし、「想い出のセレナーデ」と同じく、もう少し歩み寄ることができれば幸せになれる道もあったんじゃないかと思いたいです。

*1:幼児時代に”親に謝罪されるほどのブス”