12期・16冊目 『暗鬼』

暗鬼 (新潮文庫)

暗鬼 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

徳川家康の妻が、子を生んだ。今川義元の人質だった幼少のころに、家康は子種を絶たれており、生まれるはずのない子だった。しかも、妻は義元の情人だったことがある、という噂も囁かれている―家康のわが子への憎しみは、年月とともに大きく膨れあがり、遂には、見事な若武者に育った信康を自刃に追い込むのだが…。戦国の世に生きる、権力者たちの不安と苦悩を描く7編。

久しぶりに井沢元彦の歴史短編集を図書館で借りてみたら、20年以上前に読んだことあったものでした。
戦国時代の有名な出来事の裏側で実際に起こっていたかのような秘事の数々。歴史好きとしては充分惹きつけられる内容であり、再読でも楽しめましたけどね。


表題作の「暗鬼」は桶狭間の戦いから今川人質時代を振り返った家康の回想に始まるのですが、あの手この手で松平家を潰そうとする今川の嫌がらせの数々とそれに必死で耐える家康(当時は元信)の忍従の日々が描かれます。
中でも最悪だったのは少年時代に男として子種ができぬよう潰されたこと。
その後、義元の姪を娶るのですが、自分に子種が無いのに妻が身籠ったことから家康の中に暗い情念が湧いてきて…。
戦国時代の最後の巨人、徳川家康。まさにタイトル通りに彼の中に芽生えた鬼を描いた秀逸な作品でした。

明智光秀の密書」
本能寺の変直前、備中高松城を水攻めにして囲んでいた羽柴秀吉の陣中に怪しい男が引っ立てられてきて、明智の者と知れます。
その目的を吐かせる前に早まって殺してしまったのですが、衣服に縫い付けられていたのが謎の密書。時間が限られている中、その内容を解くために黒田官兵衛の苦悩が始まるのです。
著者には戦国時代における(信長を主人公にした)パズルものや謎解きものがありますが、その走りとも言えるでしょうか。
官兵衛が忍びの者に相談してヒントを得たというのが、やはりこの時代、忍者の方がそういう知識に長けていたのかもしれないなぁと思わされて納得ですね。

「楔」
伊達政宗が仇敵・葦名氏を滅ぼして絶頂期を迎えた時はちょうど秀吉が東征を初めて小田原城包囲をした頃。
秀吉に従うか戦うかの判断に揺れる政宗にとっては、もう一つ懸念事項があって、それはかねてから折り合いの悪い母と弟でした。
一歩間違えれば当主の座を奪われかねない危機を逆に活かして一挙に始末した政宗の手腕も鮮やかながら、最後は秀吉の方が一枚上手だったということですね。
よく言われるのが政宗があと十年早く生まれていれば…ということですが、時代が早ければ早いほど葦名とか北条とか、さらに言えば武田とか上杉とか、周りも強いよなぁと。それらを打ち倒すことができたら、本当に強大な勢力に成長していたかもしれないけど。

「賢者の復讐」
伝説上の人物・果心居士が登場。最晩年において、秀頼のことが心残りで仕方ない秀吉の不老薬を求めて呼び出されるという話です。
希代の英雄も晩節を汚して意地汚く生に執着するさまを果心居士にばっさりやられちゃうのです。
3000年に一度しか作れないという割にはお試し分も含めて2回分用意されていたことに突っ込まないのかなぁと思いましたが、

「抜け穴」
関ヶ原の戦いの後、大阪城周辺に押し込められた豊臣家のために奔走していた片桐且元でしたが、淀君を始めとする女たちが支配する大阪城では報われない日々。
とうとう命を狙われるまでとなり、戦も知らない軟弱侍に討たれるのも癪なので、仕方なく秘密の抜け穴から去ろうとしていたのですが…。
大阪城を巡る駆け引きは役者の違いが見せられたというか、豊臣方がどうしようもなさすぎるのですが、その一つがあからさまな離間策ですよね。
抜け穴を埋めてしまえと命令した家康の決断こそが戦国を生きてきた将ならではだと思いました。

「ひとよがたり」
秀吉の糟糠の妻である、ねね。彼女は大阪城には残らずに高台院として出家していました。大阪城が落城したその夜、その寺に忍び込んだ男が見聞きしてしまった衝撃の顛末。
淀君ばかり注目されますが、秀吉の天下はねねの存在を無きにして語れません。
そのねね(高台院)の独白は秀吉を支えた妻の意地と共に子に恵まれずに遠ざけられた恨みとか暗い情念とかいろいろ混ざっていて怖くもあり、切なさも感じました。さすがに最後を想像したらビビったけど。

「最後の罠」
島左近に救われた一人の薬師はその頼みに従い、家康の命を執念深く狙い続けます。
それは浜松に隠居した後も続いていました。
権力者には似合わず、いやかつて多くの宿敵たちが死んでいったのを見ていたせいか、老年の域に入っても健康のために知識を得て厳しく律し、極めて慎重に行動していた家康を毒殺するのは至難の業。
最後はなんだか心理戦となっていました。
長らく天ぷらの食べ過ぎによる死が定説*1となっていたそうですが、そのあっけない死の影にこんなエピソードが隠れていたとしたら面白いですね。

*1:近年では胃癌説が有力らしい