9期・70,71冊目 『終わらざる夏(上・下)』

終わらざる夏 上

終わらざる夏 上

終わらざる夏 下

終わらざる夏 下

内容(「BOOK」データベースより)
1945年、夏。すでに沖縄は陥落し、本土決戦用の大規模な動員計画に、国民は疲弊していた。東京の出版社に勤める翻訳書編集者・片岡直哉は、45歳の兵役年限直前に赤紙を受け取る。何も分からぬまま、同じく召集された医師の菊池、歴戦の軍曹・鬼熊と、片岡は北の地へと向かった。―終戦直後の“知られざる戦い”を舞台に「戦争」の理不尽を描く歴史的大作、待望の文庫化。第64回毎日出版文化賞受賞作。

沖縄陥落後、本土決戦に向けて大本営は大規模な動員計画をかけました。
すでに徴兵検査で甲種乙種合格していた成年男子だけでなく学徒動員までかけられていたため、今まで徴兵を逃れていた中高年や健康上に問題あるものまで対象になり、まさに根こそぎの動員でした。
そんな中、ある参謀は終戦が近いことを見越して進駐してくる米軍との折衝のため、各方面で一人ずつ英語に堪能な者を入れることにしたのです。あくまでも捕虜尋問の通訳という建前で。
こうして一人一人の男たちが帳簿上の数字として処理された結果、徴兵期限の45歳を一か月前にしていた翻訳書編集者・片岡直哉はもう自分には来るまいと思っていた赤紙を手にすることになります。
故郷の盛岡で共に動員をかけられた医師の菊池、シナ事変以来の歴戦の軍曹・富熊の三名は北の果て・占守島に向かうことになったのです。


戦争中盤、アリューシャン列島のアッツ・キスカ島を奪還されたことで島伝いに北方から攻め込まれることを危惧して、千島列島の最北端である占守島満州から精鋭の陸軍部隊を転用させ、制空権の無い中でも充分持ちこたえられるよう備えていました。
しかしアメリカ軍は南方から急速な侵攻を実施したために完全に遊兵と化し、他にまわそうにも輸送船が無い(あっても本土付近で跳梁する潜水艦にすぐ沈められる)ため、いわば置いてきぼりをくった部隊でした。
片岡ら三名が到着するも島は戦争の気配なく、8月15日になって日本はポツダム宣言による無条件降伏を受け入れる終戦の詔が放送されました。
しかし彼らの想定とは別の敵(ソ連)がどさくさに紛れて千島列島占有を狙い、その先駆けとして占守島への上陸を目論んでいたのでした。


日本が降伏を受け入れたはずの8月15日以降にソ連軍上陸により生起した占守島の戦いに興味があったので手に取ってみた次第です。*1
その厚さからかなりのボリュームがあることはわかりましたが、予想は良い意味と悪い意味の両方で裏切られましたね。
良い意味としては、主役の三名だけでなくその家族や関わった人々の人生が丹念に描かれ、終戦前夜の群像劇として非常に読み応えある内容であったこと。
太平洋戦争に関する書物というのは、上は将官から下は兵までの主に外地での戦争体験談か、本土空襲や原爆を始めとする銃後の国民が蒙った被害を中心にしているかに偏ることが多いのですけど、この中では例えば上からの命令を受けて名簿から動員者を抽出する下士官(不公平と言われないように身内から真っ先に挙げたために母から鬼と呼ばれる)とか、役場で赤紙を配る係(単なる配達員に過ぎないのに応召者の家族からは忌み嫌われる)とか、そういった任務をこなしながらも国民に接するために苦悩する様が書かれていたのが良かったです。
老若男女それぞれの立場から戦争に翻弄された庶民の喜怒哀楽がきめ細かく描写され、情感溢れる台詞もあってよく伝わってきます。
そして父が応召された手紙で知った片岡の息子・譲が疎開先の長野から上級生の静江と共に東京の家まで歩いて帰ろうとするサイドストーリーと、島の缶詰工場に来ていた400名にのぼる勤労女学生たちを北海道に帰す顛末はさすがに目が離せなかったです。


良くなかった点としては、あれだけ長い前ふりをしておいて、肝心の占守島の戦いがソ連将兵による回想や報告書のみで省かれたこと。
まぁ数名の最期を除き、戦闘シーンを排除して曖昧なままにしたのは筆者の狙いだったのかもしれませんが。
それと譲と静江の旅にソ連将校の幻想が交わったために現実感が乏しくなってしまったので、余計な演出だったような気がしないでもないです。

*1:同じテーマの小説としては池上司の『八月十五日の開戦』がある