8期・9,10冊目 『関ヶ原連判状(上・下)』

関ヶ原連判状 上巻 (集英社文庫)

関ヶ原連判状 上巻 (集英社文庫)

関ヶ原連判状 下巻 (集英社文庫)

関ヶ原連判状 下巻 (集英社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
徳川家康か、それとも石田三成か。時代が天下分け目の戦いに向けて風雲急を告げつつあった頃、そのどちらにも与せず、第三の道を画策する巨人がいた。足利将軍家の血をひく細川幽斎―。徳川の脅威にさらされる加賀前田家と提携した幽斎は、和歌の正統を受け継ぐ「古今伝授」を利用し朝廷を巻き込む一大謀略戦を仕掛けた。未曾有のスケールで描き上げる、関ケ原合戦驚愕の真相。

豊臣秀吉亡き後、天下取りの意思を現し始めた徳川家康と、それを誅せんと挙兵した石田三成
結果的に天下分け目の関ヶ原の戦いが行われて、やがて豊臣氏滅亡と新たな徳川幕府の時代へと進んでいったのは周知の通りです。
豊臣恩顧でありながら三成憎しのあまり家康に味方した加藤清正福島正則ら、始めは東軍に参加するつもりで上京したのに流れ的に西軍になってしまった島津・長宗我部など、そして西軍の総大将に祭り上げられながらも一門(吉川・小早川など)で混乱していた毛利、婚姻の関係で父子が別れた真田など、東西いずれかにつくかで多くの大名は揺れていました。
そんな中でどちらとも距離を置き、第三の勢力として存在する道を探っていた人物がいた−−−足利将軍家の血をひき*1、当代一流の文化人でもあった細川藤孝。当時は隠居して幽斎との名乗り−−−そんな彼を主人公として関ヶ原の戦前の緊迫した状況が描かれています。


実は歴史小説的には、同じように隠居の身ながら独自勢力を作ろうと画策していたとされる人物に黒田孝高がいます。
にわか作りの軍で九州北部を荒らしまわったのですが、戦いが短期で始末がついてしまったことと、当主の長政が一貫して家康のために働いていたために目論見通りにいかなかったというオチがついていますね。
細川氏については、忠興が東軍についたために領国である丹後を攻められ、留守を守っていた幽斎が籠城していたこと、「古今伝授」の継承者である幽斎を戦で失うことを恐れた朝廷が和議のために介入したらしいということくらいは知っていました。
もともと13代将軍・義輝の側近であり、その弟・義昭の擁立に奔走した関係で信長に接近したのですが、義昭追放後も織田信長のもとで働き、本能寺の変の際は盟友にして婚戚であった関係の光秀とは縁を切り、大名としての存続に尽力したという、時勢を読むのに巧みな人物ではあるが、あくまでも歴史上では脇役という印象でした。


それが本作では秘伝「古今伝授」の継承者であることと、朝廷・諸大名との独自の交渉力を武器に三成どころか家康でさえも出し抜くかのような目覚ましい活躍が見られます。
戦国の世も徐々に落ち着いてくると、武による力だけでなく、目に見えない権威というものが重要になってくる。そのために有職故実に詳しく朝廷との繋がりがあった幽斎の存在が大きいのは理解しやすいのですが、歌集である「古今伝授」の継承が当時の朝廷にとってどれだけ意味を持つのか?
その解説も含め、幽斎が信長・秀吉の下で果たしてきた役割とその秘密が自然な流れで書かれてあるので、彼が天下分け目の戦を前にどのような意図を果たそうかとしているのかがわかりやすいですね。
そしていざ戦が避けられぬとなると、籠城の指揮を執る幽斎の手足となるのが影の主人公とも言ってもいい加賀・牛首谷出身の傭兵・石堂多門。弱きを助け強きを挫く、なかなかの漢っぷりです。
戦だけでなく、重要な文書を手に密使としても東奔西走して、細川ガラシャ夫人自害の現場から脱出したり合戦直前の関ヶ原を横断したり。いささか彼ばかり酷使されすぎな気がしましたが…。
また、こういった小説ですと、敵側の人物も重要。
石田三成が極端に奸物でも英雄でもなく、豊臣家には忠誠を尽くすものの、晩年の秀吉には冷めた印象を持っていて、信長・秀吉の理想を受け継ぐ野望を秘めた等身大の人物として描かれていたのが好印象。
更に三成配下としては有名な島左近ではなく蒲生源兵衛*2が憎らしい強敵として最後まで幽斎−多門の前に立ちふさがります。
また朝廷の帰趨が勝敗の行方を握るために、後半は武家と貴族たちの駆け引きが非常にスリリングでした。


もともと籠城戦を描いた歴史小説募集の質問のコメント欄にてid:SumireSさんにお薦めしてもらった作品です。
http://q.hatena.ne.jp/1348919763#c254696
上下巻の長編ですが、籠城戦さえ駆け引きの一つとする幽斎のスケールの大きな戦略を堪能し、最後までハラハラさせられ飽きることなく楽しめた作品でした。

*1:12代将軍・足利義晴落胤だが、家臣・三淵氏の子とされたという説に拠るらしい

*2:戦巧者として書かれているので関ヶ原の戦いにて島左近と共に奮戦して討死した頼郷のことだろうが、どうも同じ蒲生姓を賜った郷舎と混同しているのかもしれない