同じ親の立場として

自分の運の良さを「正しさ」だと勘違いしている人たちへ
非常に共感できるエントリ。

そもそも、子育てをしていると、「一瞬の隙」みたいなものは、どんなに注意していても、できるものではないだろうか。
 子どもも「人間」なのだから、予想外の行動をとることは、けっして少なくない。
 どんなに日頃用心している人でも、こんなことまで想定するのは難しいし、つねにそんなことを考えていては、子どもに何もひとりでさせられなくなってしまう。
この事件の場合、責められるのは100%加害者の20歳の男だと僕は思っている。
 こんな形で子どもを失って、その上、「お前が親として油断しているからだ」と責められるなんて、どんなに酷い社会なんだここは。
 この両親を責める人たちは、そんなに完璧な親だったのか?

うちでは妻の方が心配性で親がちゃんと見てなきゃダメな方針、とちらかというと私の方ができることは自分でやらせたい傾向があります。といっても放任主義というわけでもなくて「過保護かな」と思いつつも影から見ったりつい口を出してしまうことが多いんですが。
「親がちゃんと見てなくて何かあったら取り返しつかない」という妻の意見に「何でもかんでも親が見てたら、子供が一人で何もできないよ」と言い返したこともありましたが、極力子供を危険に巻き込まれないようにしたいと思っているのは前提。でも人間である以上100%守ることなんて無理なわけで。
うちはまだ小一なので長く一人でさせることは無くほとんど行動を共にしていますが、それでも今までヒヤっと感じたことが何度もあります。たまたま危険が無かったとか、周りが気を使ってくれたりして運が良かったのだなと。もしもうちの場合も巡りあわせが悪くて事故や犯罪に巻き込まれたりしたらと考えると、今回の事件は他人事とは思えません。
まさに「親がちゃんと見てなくて取り返しつかない」ことになってしまったことになって「もしもあの時ついていけば・・・」と一番責任を感じて悔やんでいるのは遺族である親自身のはず。
転んだとかぶつかって怪我したとか日常的にありえそうなことならともかく、日本で殺人の被害に遭うという通常考えられない出来事まで責任を追及されることでしょうか。責める人には、逆にあんたはどれだけ完璧に防犯意識持って行動できてるんだと問い返したい。


とはいえ一方で子供が犯罪に巻き込まれてしまった場合に「親にも責任がありますよ。」という言葉は子育て経験が無い、あるいはもう時間的に離れてしまった人からは簡単に出るんでじゃないかとも思うんですよ。もし自分が子持ちじゃなかったら言っていたかもしれない。
つまり他人事なんですよね。他人事だから事件を客観的に見られるとは思うのですが、一方で被害者に無神経な言葉も平気でできる。
たまたまこの中ではタクシーの運ちゃんとしては数あるニュースの一つとして他人事同士の世間話のつもりだったのかもしれないですね。それが他人事に思えない客(エントリ主)だったので気まずいことになってしまいました。
発言した当人は軽い気持ちだったとしても、当事者になるかもしれない立場としてははやり簡単に聞き流せないことではあります。
立場が違うと意見も変わるとはいうけれど、もう少し想像を働かせることができればそんな無神経な言葉なんてでるものじゃないと思うのですけどね。