『隣の家の少女(The Girl Next Door)』を観てきました!

映画『隣の家の少女』―シネマトゥディ
去年、アメリカではすでに映像化されていることは知っていたのですが、その時の率直な感想としてはよくぞあの内容を映像化できたものだということです。
それが今年になって日本でも映画公開されていることを知り、原作で懲りたはずのあの何ともいえない痛みとやりきれなさをまた味わいに行くことになったわけで、ある種の怖いもの見たさとはいえ、本当にどうしようもないですね。


一見のどかで平和な50年代アメリカの風景と、暗く不気味な感じの地下室の対比が印象的。欧米の家って地下室があることが多いですよね。*1そんでホラー作品では地下には必ず何かが起きる!そんな予感をさせられる演出が序盤にあったりしました。
原作では結構なボリュームあったチャンドラー家での虐待期間がある程度圧縮されていて、展開が早く感じたのですが、映像による迫力でそれを補っていたとも思えます。虐待を受けるメグを前にしての主人公(ディビッド)の内面の葛藤やら無力感やらのモロモロを描くという点では物足りなさがあったかな。映画ではメグへの感情を前面に出して行動に転じるのが早かったですね。
その点、ルースの一見落ち着いていながらも次々と毒々しい台詞を吐き出す、非常に憎たらしい演技が一番の見所でした。極めて偏った固定観念視野狭窄に陥り、子供を虐待して死に至らしめる大人とはこういうものかというのをむざむざと見せ付けます。
原作を読んだ時はすでに反抗期を迎えているはずのいい年した少年たちがすんなり母親に従っている様が気持ち悪く感じたのですけど、独裁者とも言えるルースの元でむしろ楽しんじゃっている子供たちに大人である私は突き刺されるような思いを抱くのです。そういえば、子供って自分たちのルール内では意外と残酷なことでも平気でするものだったんだよなって。


原作を見た時にはさほど感じなかったけど、映画の中において壮年ともいっていい年齢での悩めるディビッドを見て、多感な少年期に深い傷と痛みを負うことの影響の大きさを否が応でも考えさせられましたね。ラストはメグの追憶によってちょっとキレイにまとまってしまったかな、という感触。
ちなみに映画館前では私と同様に男性客ばかりだったけど、いざ入館するとカップルと始めとする女性客もちらほら。カップルで見るにはヘヴィすぎないか、この映画・・・。

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

*1:たぶん湿気が少なくて日本よりも地下の使い勝手がいいのだろうかな