歴史は敗者によって伝わる

先月の質問(question:1244927508)になりますが、回答のために色々調べていて改めて感じたのは、歴史上においては最終的に成功者として終わった人物よりも敗れたり悲劇に見舞われた人物の方が人気が高くて後世に小説等の題材にされていることが多いようです。
日本史で言えば、

そこには歴史上の人物・出来事を悲劇として人口に膾炙される傾向*1、特に日本人には判官贔屓(はんがんびいき)の心理が大きいのではないかということです。
「歴史は勝者によって作られる」と言われます。確かに史料的にはそうなのでしょうが、大衆的には敗者の方こそ英雄譚の一つとして流布される側面があるような気がします。


判官贔屓については、優れた軍才を発揮して平家打倒の立役者であったのにも関わらず、兄・頼朝との諍い*2の結果朝敵として追いやられ、最後は頼みにしたはずの奥州藤原氏に裏切られて非業の死に終わった源義経への同情として生まれ、それに伴い数々の伝説が生まれましたね。ちなみに判官とは、後白河法皇から与えられた官位であり、「ほうがん」が正しい読み方です。
転じて、現代では弱者に対する同情やひいきの意味となっています。



では、歴史上の人物に対しては、どういった要素によって人気度が左右(判官贔屓が適用)されるのでしょうか?源義経の生涯をもとにして、以下のように考えてみました。

  1. 悲劇性。栄光からの凋落。
  2. 何らかの分野に才能を持っていること。
  3. 育ちの良さ、名門出身であること、人望があること。
  4. 若くして死ぬこと。敗者として斃れること。


次に上記の要素を元に、日本史上で判官贔屓が適用されそうな人物を独断と偏見で検証してみます。

悲劇性ほか要素としては充分。
ただし、怨霊⇒天神信仰という独特の方法で敬われているので、判官贔屓という見方には違和感ある。
判官贔屓度:70点

  • 源(木曾)義仲

源義経とは従兄弟にあたり、先に平家に勝利した実績と最後の悲劇性は持ち合わせているのに、義経と比べると全体的に見劣りしてしまう。京における狼藉と敗北でケチが付いてしまったか。
判官贔屓度:60点

名門出身でないことを除けば、ほぼ判官贔屓の要素を満たしている。(防禦に関する)軍事的才能と、それが生かされずに悲劇的な最後を迎えたことなど。
判官贔屓度:80点

その天才性や積極果断なところ、覇業の道半ばで部下に裏切られるという悲劇性は印象強く人気あるものの、虐殺を行ったことはその必要性は別として印象悪くしている。まぁわざわざ贔屓する必要もないか。
判官贔屓度:60点

後世の人気ぶりは判官贔屓っぽさを大いに感じる。ただし、武将としての名声は「表裏比興の者」と評された父・昌幸や祖父・幸隆の実績が多分に影響していると思われるが。
判官贔屓度:80点

あまり要素を満たしていない割には、判官贔屓っぽさを感じる。才能に関しては見るべきものは無いものの、豊臣贔屓の視点では大器の片鱗を描かれる。
判官贔屓度:50点

切れ者であっても、いやあったからこそ幕府として徹底抗戦しなかった点をどう見るか。少なくとも後世視点からすれば、将兵を置いてこっそり大阪から帰ってしまった事実は美点にはならない。
判官贔屓度:60点

倒幕を成功させた立役者ながら元勲として政府に残らず、不平士族に担がれて反乱の後に死を共にする。私心が無いところからして、悲劇の英雄として完成された気がする。
判官贔屓度:70点


他に集団として、新撰組とか白虎隊も入るかもしれませんが面倒なので略します。
同じ敗者としても、そこは重要な場面(特に死の間際)でどう振舞ったかで後世の評価が変わってくるのでしょう。
古くから「命より名を惜しめ」と言われるように、いかに美しく散り際を迎えて後世に名を残すかという日本人の美意識の一端が見られるような気がします。



【参考】
wikipedia:源義経
判官贔屓―源義経大辞典
判官びいき」を考える


【追記】
世界史も含め、栄光から凋落という悲劇性によって史実以上に脚光を浴びていそうな人物について、そのうちに人力検索はてなで質問してみようかと思ってます。
⇒遅くなりましたが、質問してみました。http://q.hatena.ne.jp/1247894225

*1:「歴史はまず悲劇として演じられ、次に喜劇として繰り返される。」J.エリュル

*2:これは源頼朝を担ぎ上げた東国武士の本意を無視して勝手な行動を取った点を咎められたとか、武家を争わせようとする後白河法皇に体よく利用されたいう見方もありますが