97冊目 『レパントの海戦』

レパントの海戦 (新潮文庫)

レパントの海戦 (新潮文庫)

初めて買ったつもりだったのに、実はずっと前に買って読んであった、なんてことはたまにありますが、塩野七生の地中海を舞台にしたルネサンス時代の戦記3部作*1は全て読んでいたと思っていたのに、本作だけ読んでいなかったというパターン。
何か他の本で概要を読んだので、そのつもりになっていたのでしょうねぇ。


レパントの海戦というと、何やら海戦史上ではエポックメイキング的な印象がありますね。
では実際のところはどうだったのかということが海戦の前後の状況から詳しく述べられています。主にヴェネツィアからの視点で。別に著者がイタリア贔屓というだけでなく、史料の点からも仕方ないかもしれませんが、本当はトルコ側からの視点ももっと欲しかったものですね。


海戦自体はガレー船同士の最後の大掛かりな戦いという点だけでなく、ヴェネツィア・トルコの海軍運用面の違いとか事前の西欧各国の事情が興味深いですね。西欧側も建前上は十字軍であっても、各国の利害がまったくかみ合わない為にせっかく得た勝利を拡大できなかったわけですから。
この輝かしい勝利を頂点として、ヴェネツィアは海軍国トップの座を明渡し、徐々に衰退への道を歩んでいくことが示唆されていますが、何やら第二次世界大戦後のイギリスを彷彿させます。そういう意味でも歴史的意義は大きかったのだろう、と感じました。


最後のトルコ駐在特使の演説が印象強かったので一部引用しますが、これを現代のどこかの国に置き換えてみると・・・。

国家の安定と永続は、軍事力によるものばかりでない。他国がわれわれをどう思っているかの評価と、他国に対する毅然とした態度によることが多いのである。
ここ数年、トルコ人は、われわれヴェネツィアが、結局は妥協に逃げるということを察知していた。それは、われわれの彼等への態度が、礼をつくすという外交上の必要以上に、卑屈であったからである。ヴェネツィアは、トルコの弱点を指摘することを控え、ヴェネツィアの有利を明示することを怠った。
結果として、トルコ人本来の傲慢と尊大と横柄にとどめをかけることができなくなり、彼等を不合理な情熱に駆ることになってしまったのである。


【以下、余談】
この海戦の後から、多数のオールが主であったガレー船からガレオン船のような火砲を大量に搭載した本格的な帆船の時代になるわけですね。
ちなみにレパントの海戦は西暦1571年。日本では元亀2年、足利義昭を奉じて上京した織田信長ですが、敵対勢力による包囲網によって苦境に陥っている頃ですね。姉川の戦いの翌年です。
遠く地中海で行われた海戦の結果が、宣教師によって信長に知らされたかどうかは不明ですが*2、きっと信長ならば海戦の戦術や艦船の技術におおいに興味を抱いただろうと思います。*3


その後、日本においては鎖国によって、二百数十年の国内平和と引き換えに、航海技術はすっかり取り残されてしまったわけです。
支倉常長らが乗りこんだサン・ファン・バウティスタ号(日本名:伊達丸)の例があるわけですから、もしも鎖国がなければ(技術導入の必要はあっても)遠洋航海へと飛び出していったことだろうと思います。いろいろと史実とは違う結果になったことでしょう。想像は尽きません。

*1:本作以外では『コンスタンティノープルの陥落』と『ロードス島攻防記』

*2:キリスト教界の偉大な勝利なので知らされた可能性ありそう

*3:天下統一後の秀吉はスペインに建造技術を要求したらしい