日本史の中の宗教(後編)

昨日の続きです。
ちょっと3.に行く前に日本に渡来したキリスト教についても言及してみようかと思います。
あの頃のスペイン・ポルトガルの常套手段として、宣教師を尖兵として送り込んで民心を掴んだ後に軍隊を送り込むってやり方だったらしいですね。その手で南米諸国の植民地化を次々と実施しました。
でもって日本でも同じようなやり方で行うつもりだったらしいです。
しかし短期間で鉄砲の国内生産を行ってしまうような戦国時代の進取の気風も含めた日本人の性質が、それまで征服してきた民族とは違っていたようで、宣教師の間でも方針が分かれていたらしいですね。
もっともスペインからの艦隊派遣の話もあったらしいですし、もし乱世が続いたらどうなっていたか、興味は尽きません。ひっとしたら西国の一部に、キリシタン大名が変形して○○公国とか、●●騎士団領みたいなのが、しばらく残ったかも。
実際は日本国内を統一した豊臣秀吉徳川家康によって宗教的な影響の排除(あくまでも交易は続けたかった)、不安定化してきたスペイン帝国内外の事情も関係して、カソリック勢力は撤退への道を歩んだわけですが。


3.宗教の管理
比叡山焼き討ちを始めとする強固な手段によって悪鬼羅刹の如く言われる織田信長ですが、何も一向宗を始めとする武装宗教勢力を弾圧したのは信長だけでなくて、その勢力に脅威を感じて強硬手段をとった大名は他にもいました(若年の徳川家康のように)。ただあそこまで徹底してやって成果をあげられた人物が見当たらなかったわけで。
武田や上杉のような半農の軍隊ではなく、経済力によって農と武がきっちり分離できた、いわば職業軍人による専門の軍隊を組織できたことや、信長自身の徹底した合理主義も影響しているんじゃないでしょうか。ときには情け容赦ない手段が、ゲリラ対策には効果的であるように。


織田信長が地ならしをしてくれたおかげで、徳川家康は巧妙に寺社勢力の力を削ることに成功しましたね。
本願寺の分裂が有名ですが、やはり檀家制度と寺社奉行による取締りによって、信者獲得競争や教義解釈の違いによる宗派の争いが無くなり、日本の宗教は活気を失った(言い換えれば大人しくなった)と言えるのではないでしょうか。
戦国時代までと江戸時代以降では、時代の流れとだけでは言い表せないくらい、日本の宗教の印象が違います。やはり信長〜家康の時代が日本史における宗教の分岐点だと思います。


明治以降は政府により、天皇の神秘性や権威を高めるために、国家神道として利用されました。このあたりは特に宗教が息を吹き返したというよりは、どうも中世以前の国家鎮護の為の仏教を彷彿とさせます。
そして昭和に入って、客観的なデータによる判断が必要な戦争政策に、神がかり的な精神主義が横行するといったように暴走しますが、前後の歴史を見ても、日本史の中でも特異な時期だったとも言える気がします。


4.現代日本の宗教
大仰な段落名に対して、実際のところ戦後の宗教はよくわからんのですが、宗教活動として目立つのが、良い面では私学設立などによる教育活動や奉仕活動ですし、悪い面では宗教団体によるやみくもな金集めですね。
確か戦前は当局の取り締まりもあったのですが、戦後は税制の優遇などもあって一挙に信仰宗教が増えました。そのあたりの弊害も取りざたされているところですが。


話は変わりますが、身近なことで思ったのが、葬式の時など戒名や僧侶への謝礼にえらく金がかかって、私なんぞは馬鹿らしいと思ったことがありました。江戸時代からの檀家制度が残っていて、そういうものだという習慣的な感じなんでしょうね。
地獄の沙汰も金次第と言いますが、極楽浄土に行くのも列車や客船の客室クラス分けみたいな感じで待遇が変わってくるのでしょうか?
私の勝手な印象ですが、宗教が絡むのは金のかかるものだと思っております。


それはさておき、日本人にとっての信仰の重要さがどれくらいかは断言できませんが、ただ熱心な信仰活動というものは一部の人のみで、大部分は信仰の重みを意識することはなくなってきているのではないでしょうか。外国と比べて一つの宗教に対する執着度が低く、日常生活の中で必要な時だけ必要な部分だけ利用させてもらうって感じなのかなぁと思います。


・・・いやぁ、あくまでも表面的なことのみなぞってきましたが、奥が深いテーマですねぇ。



【参考】
日本の仏教
浄土真宗
日本とキリスト教