日本史の中の宗教(前編)

久しぶりに歴史についてのコラムみたいなことをやってみます。
今回は日本の歴史における宗教についてです。
思った以上に長くなったので前編・後編に分けました。


新年は神社に初詣し、クリスマスを祝い、結婚式は教会だったり神前だったり好きな方式で行い、葬式は仏式で行うというように現代の日本人の大半は宗教に節操が無いと言われます。
何と言うか、一旦生活に習慣づけば、由来は気にしないといいますか。
時々騒がれる詐欺じみた宗教団体なんぞは別として、実害が無い限りは宗教については概ね寛容だと思います。


でも寛容であるというのは、同時に理解しようと思わないというか無関心に近いのですよね。
重い病気とか身近な人の不幸とか、よほど強いきっかけが無いかぎり、信仰というものに縁が無い人が多いのでは?
「自分は無宗教だ」と広言している人さえ時々見ます。*1
世界で起こっている、同じ宗教でも教義の違いによる宗派の紛争とか、長年の深い対立があるキリスト教イスラム教についても、なぜそこまでして争うのか理解できないのではないでしょうか。
まぁ、私も似たような感じでして、特にこれといった宗教に肩入れはしない(というか宗教団体が嫌い)のですが、歴史に中において宗教は切り離せないものですから、興味は持っています。*2
そういうわけで、さすがに外国の宗教についてまでは、話が広がりすぎるし荷が重いので、日本史だけに限って適当に書き散らしてみたいと思います。


1.祭政一致の時代

まつり‐ごと【政】
《「祭り事」の意。上代では祭政一致であったところから》国の主権者がその領土・人民を統治すること。政治。政道。「―を執る」「―が乱れる」
Yahoo!辞書より引用)

現代ではタブーというか、中には宗教色が絡むと中には敏感になる人がいるように、原則的に政治と宗教は切り離されています。
しかし古くは卑弥呼の例でもわかるように、天(神)の代理人という立場を利用して民衆を治めていた時代があったように、政治と宗教は一体であり、同質のものでもありました。そのあたりが「政」の語源にも現れているのではないでしょうか。*3


そして仏教が輸入されますが、国政の中に含まれていますね。例えば国家事業としての仏像・官寺建立や祈祷がされました。まだまだ天皇家や貴族のものだったわけです。
ようやく仏教が一般的に信仰として流布され始めたのは、禅の流行などもあって鎌倉時代だと記憶しています(行基(668〜749年)に関しては社会事業をきっかけとしていましたし、一度弾圧も受けているのでまだ一般にまで浸透していなかったのでは、と思います。平安時代あたりまでの民間信仰についてはよくわかりません・・・。)。


それに対して、神道の方がさすがに古くから根付いていた為に、自然信仰とあいまって民衆の間で信仰されていたのだろうと思います。日本にどんな宗教が入ってこようが反発せずに受容さえして現代まで綿々と続いているというのが神道の強みではないでしょうか。
そういえば仏教輸入に関しては、旧来の宗教勢力(物部氏など)と渡来系勢力(蘇我氏など)の争いが興味深いですが、結局は日本風に形を変えて受け入れられます。だいたい神仏習合思想なんて発想自体が日本独特ですよね。


2.宗教という名の権力
鎌倉時代でも室町時代でもいいんですけど、ある地方豪族を例に取れば、人口(=成年男子は兵力)・生産力(=食料だけでなく武器や馬も含めた総合的な兵站能力)を元にした力を持っていました。官位とか高貴な人物の子孫であるというような権威も合わせて、一つの地方権力なわけです(中央との結びつきも関係しますね)。
統率者の野望が高かったり、近隣や中央の不穏な動きに影響されたりして、その軍事力を行使することもあったことでしょう。


それに対して、宗教の権力というものは、ある時代までは国家権力に寄りかかって、公認の宗派となるといった、権力というよりは権威を獲得するというのが主でした。
興福寺延暦寺のような僧兵による武力を持っていた勢力もありました*4が、一変したのが、蓮如浄土真宗本願寺8世)の登場ではないでしょうか。
蓮如による布教制度の改革によって爆発的な信徒の増加、そして純粋な宗教家というよりもやり手の政治家という印象の顕如(11世)おかげで、一向宗浄土真宗の別名)と呼ばれた勢力は各地でそれまでの武家勢力を圧倒し、拠点を築きます。
光栄『信長の野望』といった戦国シュミレーション・ゲームをやってみればよくわかるのですが、本願寺家を敵にまわすと非常に手ごわい。配下は忠誠心が高いから離反が期待しにくいし、デフォルトで鉄砲の装備率と能力が高いので、守勢にまわると簡単には落とせません。おまけに毛利や武田という大勢力とも友好度が高いですし。
まったく織田信長の苦労した気持ちがよくわかります。


話が逸れましたが、戦国時代あたりまで宗教で結びついた組織というのは、高尚な理想を持ち、恵まれぬ人々の救済を目的とした平和愛好団体なんぞではなく、利害が絡めば平気で武力行使を行う立派な(?)軍事勢力と言っても過言ではありません。
先に僧兵について言及しましたが、京都での寺院同士の勢力争い・同じ宗派内での争いはよくあったらしいですね。まさに中東あたりで起こっていたような、武力にまで訴える宗教戦争が、日本でも当たり前にあったわけです。


さて、関が原の戦いや大阪城の陣を通して、大名はそれぞれ幕府に従属する形で世の中は鎮まりました。それまでの幕府と違って江戸幕府は初期の武断政治によって徹底的に締め付けたので、一揆は何度も起きたものの、諸侯による表立った叛乱は一度も起きませんでした。
では宗教勢力はどうなったのでしょうか?
【後編に続く】

*1:外国では絶対にそんなことを言わない方がいいみたいです。異教徒よりも理解できない人種と見られるので。”Buddhist”(仏教徒)としておいた方が無難です。筋金入りの共産主義者ならば別でしょうが。

*2:昔、旅行に行った時は、由緒ありげな寺社を訪ね、縁起を見るのが好きでした

*3:ちなみに宮城谷昌光の小説によると、中国で確認されている最古の国家である殷(商)(紀元前1600年頃 - 紀元前1046年)はかなり祭礼一致の色合いが強かったようです。

*4:僧兵の横暴に対して、白河法皇は、自分の意のままにならないものは「賀茂川の水(鴨川の流れ)・双六の賽(の目)・山法師(比叡山)」であると慨嘆した。