吉村昭 『高熱隧道』

高熱隧道 (新潮文庫)

高熱隧道 (新潮文庫)

内容紹介

黒部第三発電所――昭和11年8月着工、昭和15年11月完工。人間の侵入を拒み続けた嶮岨な峡谷の、岩盤最高温度165度という高熱地帯に、隧道(トンネル)を掘鑿する難工事であった。犠牲者は300余名を数えた。トンネル貫通への情熱にとり憑かれた男たちの執念と、予測もつかぬ大自然の猛威とが対決する異様な時空を、綿密な取材と調査で再現して、極限状況における人間の姿を描破した記録文学

プロジェクトXで放送された黒部ダム(黒部第四発電所)。
それは険峻な黒部峡谷に作られた巨大ダムですが、それより20年くらい前に下流仙人谷ダム(黒部第三発電所)建設のため想像を絶する難工事に挑んだ者たちがいました。
時代は昭和に入り、国外では中国大陸がきな臭くなり始め、国内では主に工業関係の電力需要が高まってくるも、供給が足りずに関西地方ではしばしば停電することもあるくらいでした。
それゆえに秘境として残されていた黒部峡谷を利用して大規模な発電所を建設することは国家的事業でもあったようです。
とはいえ、道なき秘境に道を通すところから危険きわまりない様子が描かれます。
峡谷の断崖絶壁に沿って丸太を通しただけの狭い桟道であったり、非常に危なっかしい吊り橋であったり。
人一人分にあたるほどの重さの資材を雇われた人足が運ぶ際に転落死亡事故が何度も起きて、歩道の拡張命令が出たほどでした。
三つの区画で仕切られたうちでもっとも上流である仙人谷 - 阿曽原の第一工区に資材運搬用トンネルを掘削していく工事がもっとも難易度が高いと予想されていました。
というのも、最初に受注した加瀬組がわずか30m掘り進んだだけで岩盤温度が60度に達したことで工事を途中で辞めてしまったからでした。
実は一帯は有数の温泉地帯であり、そんなところを人力でトンネルを掘るなど正気の沙汰ではなかったというわけです。
作中では工事を請け負った佐川組の幹部社員の視点からいかに黒部の厳しい自然が工事の進捗を阻んでいたかを淡々と綴っています。
触れたら火傷を負うほどの熱い岩盤や突然噴き出してくる熱湯。
内部に籠った異様な熱気により、30分としていられないほどの中で作業する人夫のため、後方からホースで水をかける「かけ屋」がいて、かけ屋のためにもその後方からホースで水をかける人がいて。
掘り進めるほどに上がっていく岩盤温度。地質学者に再調査を行わせたところ、94度で止まり、そこからは下がっていくとの調査結果でしたが、予想に反して下がるどころかぐんぐんと上がっていく一方。
100度を軽々と超えてしまい、ついには発破をかけるためのダイナマイトが自然発火し、8名死亡、6名が重傷を負うという事故が起きました。
側坑を掘ったり水や風を利用してトンネル内部の温度を下げる試みやダイナマイトに熱が伝わりにくくするなどの策をこうじて乗り切ったものの、立ちはだかるのはそればかりでなく。
充分に雪崩対策を行った頑丈なはずの宿舎が深夜に突然の爆発音と共に3階以上が消え去ってしまいます。
それは泡雪崩という現象が起こったためであり、切断された上部の木造部分が峡谷の対岸600メートル余り吹き飛ばされた挙句に岩壁に叩きつけられ、84名の死者という大惨事を引き起こしました。
これにより、富山県警からは事故に対する調査ならびにこれ以上犠牲者を出さないために工事の中止が強く言い渡されます。
しかし、ほぼ国策といっていいこの工事は一時的な中断の後、再開されたのでした。


最終的に300人余りの犠牲者を出しつつ敢行された工事の最終工程がクライマックスであるのと同時に読み進めていくのが辛くなるほどに重いものでありました。
主人公の述懐にあるようにもともとトンネルの掘削現場は危険と隣り合わせなのは当たり前。技師は目の前で無残な死やむごい死体を見ることに慣れていくものだとか。
今とは人命に関する価値観が大いに違っていたのもあるのでしょう。
人夫の命を使い潰す勢いで工事が進められていたといっても過言ではありません。
とはいえ、いくら大金が支払われたからといって、むざむざ死を目の前にして作業が続けられるわけがなく。
高熱をあらゆる手段で冷まして、少しでも安全に、少しでも働きやすくしようと現場責任者が四苦八苦する様や、力及ばず犠牲を出してしまったことの絶望や後悔が強く伝わってきました。
最終的に160度以上に達したという高熱隧道での作業はこの時代の技術ではあまりに無謀であったとしか言いようがありません。
それでも、多数の犠牲を払い何度も中断の憂き目に遭いながら突き進み、ついに完成させました。
黒部第四だけでなく第三の難工事についても時代の象徴として広く伝えられていくべきだと思いましたね。

山本兼一 『ジパング島発見記』

ジパング島発見記 (集英社文庫)

ジパング島発見記 (集英社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

種子島鉄炮を伝えた男ゼイモト、冒険商人ピント、イエズス会宣教師ザビエル、『日本史』を著したフロイス…。16世紀、日本にやってきた7人の西洋人の目を通して、「日本という国」を浮き彫りにする連作短篇集。西洋文化と接したことによって、日本は、どのように変わったのか。そして変わらなかったのか―。

16世紀中盤に起こった鉄砲伝来とキリスト教伝来によって戦国時代の日本は大きく揺れ動くことになりました。
影響を受けた側である日本国内の動きはいろいろと読む機会がありましたが、逆に鉄砲とキリスト教をもたらした側であるヨーロッパの個人の視点から日本に来てどう感じたかを描いた作品は少ないようで、そういう意味では珍しい視点での短編集になります。
宣教師からすれば、邪教神道・仏教)を信じ、悪魔が跋扈する日本を正しい教えに導くのが大前提。その上で、他のアジア・アフリカ人と比べると日本人は礼儀正しく文化的でありながら非常に変わっていると感じられるようで。*1
登場人物が来日する前の過去や心情を描く以上、史実に無い部分はかなり創造して肉付けされているようです。
当時のヨーロッパ人が本当にそう思い込んでいたかのような真に迫った描写の巧さががありましたね。
ただ、短いゆえに新鮮で楽しめた(ゼイモトやピント)のもあれば、内容が物足りない(フロイスやヴァリニャーノ)のもありましたが。


「鉄砲をもってきた男」
まず最初は種子島に鉄砲を伝えたポルトガル人ゼイモトの話。
極めて顔立ちが優れていた彼は母の死後に孤児となって以来、女絡みのトラブルが絶えない生活で、女に惚れられては追い出されるのを繰り返していました。
彼はアジアに向かう大船団に潜り込んだものの、逃げようのない船内で性悪な司令官愛人に目を付けられてしまい、命の危険を感じて脱出した先がシナのジャンク船。そうして種子島に辿り着いたというわけでした。
彼をサポートした王直のしたたかさが見事。


「ホラ吹きピント」
冒険心に溢れる商人ピントは東アジアで大儲けと損失を繰り返していましたが、ジパングのことを知っていたく心を刺激されてやってきます。
かなり誇張が入っていますが、日本人に警戒されながらも、手八丁口八丁で乗り越えていく様子が楽しかった一編です。
言葉が通じなくても、彼のような人物だとなんとかできちゃうのが羨ましい。


「ザビエルの耳鳴り」
日本におけるキリスト教の伝来者として名高いザビエル。
ナバラ王族の子として生まれるも、故郷が侵略によって蹂躙された過去が重くのしかかっていました。
宣教師となってもトラウマとして残っていたようで、布教許可を得るために上京したものの、京がすっかり荒れ果てていたことに絶望したり、山口で大内家の庇護のもとに順調に布教が続いていたところで災厄(陶晴賢の謀反)を予見したり。
度たび過去がフラッシュバックのように蘇り懊悩する場面が象徴的ですね。
死後に聖人として祭り上げられた彼ですが、生きている間は一人の人間として深い悩みを抱いていたのだろうと思わせられます。


「アルメイダの悪魔祓い」
元はポルトガルの裕福な家庭に生まれて医者として将来を嘱望されながらも日本では聖職者の道を歩むようになったアルメイダの話。
結局は教会にやってくる信者の怪我や病気を診るようになって感謝されるのですが、ある夫人の狐憑き(宣教師からすれば悪魔憑き)を治すために長い闘いが始まります。
洋の東西に関係なく精神からくる病を宗教者が抑えるには結局は時間と根気をかけているのかなぁと。


フロイスのインク壺」
本書の案内役でもあるルイス・フロイス
優秀な表現者であり記録者であったフロイスポルトガル王によりインク壺を賜って今後も王国のために記録を取るように激励されます。
その結果、アジアに向かう船団に乗って日本に来訪。そこで織田信長に出会いました。
現代の私たちが信長の行跡を知ることができるのは『信長記』を遺した太田牛一の存在が大きいですが、一方でポルトガル人であるフロイスによって克明な記録が遺されたというのが歴史的に大きな意味があったように思えますね。
その上で後世のキリスト教世界では信長がどう評価されたのかまで書かれていれば良かったと思いました。


「カブラルの赤ワイン」
日本国布教長に就任したカブラル。
ヨーロッパ文明を至上とした人種差別主義者でアジア人蔑視を隠そうとしなかったゆえに日本人と軋轢を起こして、最後は解任されてしまいます。
でも一定階級への布教のために絹の服など贅沢な格好をした現地宣教師たちに反対し、宗教者として清貧を第一に貫いた頑固さは意外でしたね。
でもやはり人物としては好きになれませんし、日本で暮らしながらワインと肉にしがみついていたあたりは滑稽に見えましたが。


「ヴァリニャーノの思惑」
東インド管区の巡察使という地位にあって天正遣欧少年使節を実現させたヴァリニャーノ。
名門貴族の生まれにして才能にも優れ、法王の後援も得て順調に出世してきたエリートでした。
しかし、作中では神学校で学ぶ日々の中で酒場の淫婦に惚れこんだあまりに騙されたことに逆上して刃傷沙汰を起こしてしまう。イエズス会に入会して海外に出ることになったという流れが斬新でした。
日本人女性が彼の好みとは合わない細い目だったので、惑わされることなく仕事に邁進できたというのも複雑ですね。
まぁ、聖職者であっても完璧ではなく、人間として欲望に惑わされてしまうのも歴史を見れば当然なのでしょうが。
天正遣欧少年使節については、信長との歓談でヨーロッパに誰かを行かせたいという話題がきっかけとなったのが面白かったです。

*1:特にチョンマゲが奇異に見えたのは現代日本人としては頷ける

岩井三四二 『とまどい関ケ原』

とまどい関ヶ原 (PHP文芸文庫)

とまどい関ヶ原 (PHP文芸文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

敵中突破しての大坂行き。でも、同行者がヘンだ!毛利家の野望と、安国寺恵瓊の習慣は相性が悪い?両軍にいい顔をしたら、わが城が東西の境目に!手勢わずか六百。なのに関ヶ原の勝敗の鍵を握らされた!天下分け目の合戦は人生の分かれ目!栄達か、しからずんば死か。大きな岐路を前にとまどう男たちを、温かく(?)描いた傑作短篇集。

名高い関ケ原の戦いの中でも主役たる徳川家康石田三成ではなく、そこそこ名の知れた武将からまったく無名の家来までが世紀の決戦を前にしていかに戸惑ったかを取り上げた短編集となります。


「大根を売る武者」
会津征伐のために東国へ赴いた徳川家康石田三成が糾弾したことにより、ついに東西の戦いが始まろうとした頃、家康に付き従っていた豊臣恩顧の大名の多くは三成憎しの感情や打算から東軍に属することになりました。
ただし問題は大阪に人質として置かれた家族。
軍勢に先駆けて真っ先に大阪に入って戦になることを知らせ、叶うならば救出させたいところ。
池田家でその使者に選ばれたのが渡辺惣左衛門と野中市左衛門の二人。
しかし、東国から大阪へと至る道はどこも厳重に警戒をされていて・・・。
あまり知らない人物と過酷な任務をこなさなねばならない宮仕えの辛さ。
信じていた相棒に最後に良いところをもっていかれるというのはどの時代でもありそうな話。もっとも、相方としても言い分はありそうですね。
『常山紀談』でとりあげられた池田家臣、渡辺惣左衛門と野中市左衛門の逸話が元らしいです。


「百尺竿頭に立つ」
毛利家外交僧・安国寺恵瓊が主人公。
石田三成に近い彼は主君・輝元を西軍の総大将に祭り上げようとします。
しかし、彼にも苦手な相手・吉川広家がいて、広家は家康に誼を通じようとしていたのでした。
最初から大名自身が旗幟を鮮明していたわけでなければ、多くの家中では意見が分かれていたようです。西軍の最有力大名たる毛利でさえも例外ではなく。*1
石田三成に近い安国寺恵瓊がいながら、関ケ原の戦いで実質的に不参加となってしまった原因は対立が残ったままだったという理由がよくわかる内容ですね。


「松の丸燃ゆ」
東西手切れで真っ先に西軍の攻撃目標となったのがかつての家康の居城で老将・鳥居元忠が留守を預かる伏見城
家康の来援が間に合わない以上、徳川の意地を見せるためだけに戦う死兵であり、実際に頑強に抵抗していました。
攻め方としては、忠誠心強い徳川武士は端から諦め、雇われていただけの甲賀衆に付け入ろうとするわけです。
関ケ原の戦いの前哨戦でしかない攻防ですが、命のやり取りをしていた当人たちは必死。特に守る方の甲賀衆の侍大将として、部下たちが人質を取られて動揺しては戦うどころじゃないわけで・・・。
いかにも歴史の影に埋もれた一武将の悲哀といった内容でしたね。


「日本一幸運な城の話」
歴代城主のほとんどが非業の死を遂げた岐阜城の近くにありながら、城主はそこそこ長生きして、一度も落城することなく現代まで天守が残されていることから、日本一幸運な城としたのが犬山城
関ケ原の戦いの時、犬山城がどのような運命を辿ったかと記しています。
もう10年以上前になりますが、犬山城には実際に行ったことがあって懐かしい思いがしました。
戦国争乱の中心ともいえる美濃にあって、確かによくぞ無事に残っていたものだと思います。
岐阜城大垣城の影にあって、さほど重要視されなかったのも幸運であったのでしょうか。
作中においては、当時の城主であった石川貞清のユニークで不器用な生き方も印象に残りましたね。


「草の靡き」
いざ戦場に臨んでも、西軍のまま戦うか、それとも東軍に寝返るか決められずにいたのが朽木家。というのも、当主元綱は内政こそ優れていても、外交経験無く外部の情勢に暗かったから。
善戦する大谷吉継の陣のそばで小早川秀秋の裏切りに備えていた朽木家は戦いの最中でもまだ意見が割れたままでした。
数万の軍勢がぶつかりあおう戦場において、たかが数百人の軍勢が勝敗の鍵を握るなんて滅多にないと思うのですが、その滅多にないことが起こったしまったというわけです。
もしも、朽木を含めた四家が大谷吉継の思惑に乗って小早川の軍勢を抑えてしまっていたら、どうなっていたでしょうか?
まだ戦に参加していなかった徳川の本軍や毛利その他次第ですが、状況が変わっていた可能性があります。
ともかく、草の靡きが東軍の勝ちを決したという見方はあるのでしょうね。


「すべては狂言
関ヶ原東南、南宮山に陣取った毛利家の軍勢はちょうど東軍の背後を衝く絶好の位置にありました。
しかし、その先頭にある吉川広家は内応済で、いくら秀元や安国寺恵瓊らがせっついても動くつもりなく。毛利が動かないと、その後ろにある長宗我部盛親も動けない。しまいには「宰相殿の空弁当」という言葉が生まれるほどでした。
目論見通りに東軍が勝利したのですが、予想と違い毛利家は改易されることが決まっていて・・・。
味方だった西軍の諸将を騙し首尾良くいったと思ったが、家康の方が上だった広家の落胆ぶり。
それに主家を守ったはずが毛利家の中では裏切り者という扱い。
そのあたりの複雑な心境が印象的でした。

「敵はいずこに」
東海道を西上した家康とは別に徳川家の軍を率いて中山道経由で大阪に向かったのが徳川秀忠
しかし、信州にて真田氏が籠る上田城を揉み潰そうとして逆に手痛い反撃を受けてしまっていました。
そこに家康からの使番に催促されたこともあり、抑えの軍を置いて急ぎ進軍することにします。
しかし、山深い信州ゆえにそう簡単にいくわけがなく、結局決戦には間に合わなかったのでした。
戦に関しては兄や弟に及ばない秀忠。
老獪な真田昌幸に翻弄されたとはいえ、関ケ原の戦いに遅参したことは大きな汚点として残りました。
もしかしたら、後継者レースから脱落してもおかしくない状況であったかもしれません。
それでも赦されたのは彼が幕府の二代目にふさわしかったから。それが良くわかる結末でしたね。


「19歳のとまどい」
関ケ原の戦いから数十年、西軍に味方した(未遂や疑い)とされて奥州に流されて隠居生活を送る宮部長房の語り。
彼の言葉によると、最初から家康に味方するはずだったのに、信じていた田中吉政*2に利用されて裏切られた挙句、西軍に通じていたとされてしまったのだと言うわけです。
現代であれば未成年ですが、当時の19歳ならばとっくに一人前になっている年齢。
秀吉の草創期から支えて城持ち大名に成り上がった父・継潤と違って、最初から大名の嗣子として生まれた長房の甘えばかりが目立ちます。
己の至らなさを全て田中吉政のせいにしているといっても過言ではありません。
それでもそこそこの生活を送れて、子にも恵まれたのだから、悪い人生ではなかったのではないでしょうか。歴史的な評価は別として。

*1:当主・輝元が凡庸で、政務面で支えていた小早川隆景に代わる者がいないのが大きかった

*2:同じ近江の出身で、父・宮部継潤の部下でもあった

朱川湊人 『わたしの宝石』

わたしの宝石 (文春文庫)

わたしの宝石 (文春文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

女性の前で男性が「さみしい」と口にする時、きっとさみしさは、その瞬間に消えているのです。じんわりと心をえぐる、特別な愛のストーリー6編。

主に昭和40年代を舞台にした、心にぐっとくる短編集。
何十年経っても心の中に残る、きらきらとした宝石のような思い出をテーマにしていると言えましょう。
昔は良かった、という言葉は多分に思い出補正が入って美化されているもの。
逆に今の方が格段に良くなっていて、昔の方が至らない点もちゃんと描かれているのが公平であるし、辛さを感じる部分でもあります。


「さみしいマフラー」
交通事故に遭って死にかけた影響か、人の寂しいという感情が見えてしまうようになった私。
それは女手一つで育ててくれている母であったり、逆に母がいない近所の年下の男の子であったり。
悲しみを知っている人ほど、人に優しくできるということがなんとなくわかる作品。
叶わないと知りながらも「好きだった」と告白しながら電車に飛び乗った幼馴染の少年と、久しぶりに会って「さみしい」と口にした(かつて私が片想いしていた)男性。
その両者がとても対照的だったのが印象に残りました。


「ポコタン・ザ・グレート」
道家の父と美人で嫋やかな母のもとに生まれたポコタンこと奈保子は残念なことに父に似てしまう*1が、両親から愛情たっぷりに育てられて、顔が不細工でがっちりした体格であることも気にせず素直に育ちました。
しかし、子供の世界は残酷で、特に容姿に関してはオブラートに包むことなく散々に言われます。
さすがに本人も中学生になる頃には自分がテレビに映る可憐なアイドルのようにはなれないことを悟るのですが・・・。
世間は見た目が良い方が得するのは確かであるけれど、それでもめげないポコタンのまっすぐな生き方が眩しい。
誠を尽くしたポコタンが幸せを掴んだのも喜ばしいかぎりです。
最後に息子目線で語られていることがわかり、名前の由来にクスっとしてしまいます。


「マンマル荘の思い出」
主人公が小学一年の時に母と引っ越したのは共用部分が多い昔ながらのアパート。
実は父親からの暴力から逃げてきたことあって、住人との距離感が近いアパートでは癖のある大人たちから可愛がられて、楽しくて、宝物のような日々であったという述懐が続きます。
他人からの干渉を極力避けがちな昨今のマンション・アパートとは違い、昭和の頃の安アパートはこんな感じだったのだろうなぁとなぜか懐かしい感じがするのですね。
自分じゃ経験してなくても、昔読んだ漫画で当たり前に描かれていたせいか。
子供の頃に過ごした場所が大人になった頃にはすっかり様変わりしてしまっている。
それを寂しく思う気持ちはよくわかりますね。
それでも大家さんの願いが叶えられて、しっかりと形に残っているのが良かったと思えたラストでした。


「ボジョン、愛してる」
結婚もしないまま中年になった主人公が偶然見かけたテレビで韓国のアイドルグループの一人に魅せられてしまいます。
たちまち夢中になって、グッズを集めたり特典目当てにCDを複数購入。果てはファンクラブに入ってコンサートチケットを買うまでに。
親しい友人に呆れられてしまうも、本人はファンになったことを恥じることなくて・・・。
かつてのアイドルブームとは違い、いい年して韓流アイドルにハマってしまった男性の心理を綴ったといえるでしょうか。
共感はできないけど、理解はできなくもないです。
それに主人公は不治の病に罹って先が長くはなく、遺言的なかたちとなっているので、熱が冷めることなく人生の最期を迎えようとしているのが救いでしょうか。


「想い出のセレナーデ」
かつて歌うことが好きな女の子がいて、幼馴染の二人はいつも一緒であった。
中学生になると一緒にいることは減ってしまったが、それでも会えば話すことはあった。
一度中学受験に失敗していた”僕”は高校こそいい学校に入るため受験勉強に懸命で、彼女のSOSに気づくことなく・・・。
彼女に訪れた不幸、そして”僕”の無力さが読んでいて辛かったです。人は誰しもヒーローやヒロインにはなれることはないとはいえ。
辛かった人生の記憶を無くしても歌だけは忘れなかったことが感動のラストとして心に残りましたね。


「彼女の宝石」
大学時代、誰しもが夢中になるほどの美貌の女性がいて、他の男のようにアタックすることは最初から諦めた”僕”は同じクラブに属しながらも、距離を置いて見守るしかできなかった。
社会人になって、彼女と再会した”僕”はただの友人であったとしても、付き合いが始まって有頂天になります。
実は彼女には東南アジア某国の山村に住む子供たちのために学校を建てるという夢があって、それを実現するために大手ゼネコンに入社したのですが、回されるのは美貌を活かすような仕事ばかりなのが不満でした。
女性の社会進出がようやく始まった頃、まだ親の世代は結婚こそ女の幸せだと固く信じていて、突拍子もない夢を持っていても実現は難しかったことでしょう。
才色兼備の”色”が飛びぬけていたことが彼女にとっては不幸でしかなかったというか。
客観的には不倫して飛び出していった彼女に責があるでしょう。
でも、”僕”の想いを読んでいくと、やはり夫婦間は当人同士じゃないとわからないことがあるのだと言えましょう。
この二人は運命の人ではなくて悲しい結末になってしまったけれど、短かった結婚生活は決して不幸せではなかったし、「想い出のセレナーデ」と同じく、もう少し歩み寄ることができれば幸せになれる道もあったんじゃないかと思いたいです。

*1:幼児時代に”親に謝罪されるほどのブス”

恩田陸 『月の裏側』

月の裏側 (幻冬舎文庫)

月の裏側 (幻冬舎文庫)

内容(「BOOK」データベースより)

九州の水郷都市・箭納倉。ここで三件の失踪事件が相次いだ。消えたのはいずれも掘割に面した日本家屋に住む老女だったが、不思議なことに、じきにひょっこり戻ってきたのだ、記憶を喪失したまま。まさか宇宙人による誘拐か、新興宗教による洗脳か、それとも?事件に興味を持った元大学教授・協一郎らは“人間もどき”の存在に気づく…。

面積の一割を占めるほどに水路が縦横無尽に走っている水郷都市の箭納倉。
ここで老女が失踪するという事件が続けざまに3件発生します。
彼女たちは一週間ほどでひょっこりと戻ってくるのですが、失踪していた時の記憶を無くしていました。
さらに言えば、3人に共通するのは自宅が掘割に面していたことや蒸し暑い夜に窓を開けていたこと。
退官して実家に戻った元大学教授・協一郎、それに里帰りした娘の藍子、藍子の幼馴染でかつて互いに淡い想いを抱いていた多聞。加えて、この街で起きた事件を取材し始めた新聞記者の高安。
彼らは失踪事件を探っている内に奇妙な出来事に出くわします。
飼い猫の白雨が咥えて拾ってきた精巧な指だったり、図書館で突然水が襲ってきたように思えたり。さらに複数の人間が揃ったように同じ反応を見せたことなど。
箭納倉の人々は水に関係するものに身体を盗まれている?
不意に浮かんだ疑問は徐々に確信へと変わっていくのでした。


水というのは身体の多くの成分となっていることから、人間にとって必要不可欠なものであります。
同時に人の営みにとって、恵みとなることもあれば、脅威ともなりうる。
ホラーにおいても、水(川とか海とか)を扱ったものは昔からありますし。
本作の舞台は水郷都市であり、街の中で家のすぐそばを水路が走っていて、脅威がすぐそこから来るかもしれないと思えば怖さは増してきますね。
長雨が続く様子とか、失踪があった家の印象とか、一つ一つの情景が目に浮かぶようで、不気味な雰囲気をすごく感じ取れました。
さらに人の身体を盗まれた上に見た目は変わらぬままに街で暮らしているのかもしれないという怖さ。
荒唐無稽でとうてい信じてもらえないような疑いを抱いた四人が徐々に真相に近づいていくさまはスティーブン・キングの小説を読んでいる時に近いものを感じました。
ただ、波乱に満ちた展開というより淡々としていて、起伏に乏しくて最後までだらだらと続いてゆくのが少し退屈に思えたのも確かです。

横山信義 『不屈の海5』

不屈の海5-ニューギニア沖海戦 (C★NOVELS)

不屈の海5-ニューギニア沖海戦 (C★NOVELS)

内容(「BOOK」データベースより)

空母二隻を失った日本軍は、戦闘機「剣風」を量産し反撃の機会を窺う。だがその最中、米太平洋艦隊は戦略方針を転換。フィリピン奪回への布石として、ニューギニア島の陸軍第一八軍を猛攻する。一方、欧州ではドイツが米英の爆撃により弱体化。対日参戦に難色を示すイギリスは、アメリカとある密約を交わす。さらにイタリア・マルタ島上空には、英重爆撃機が出現し…。混沌が大陸を包む中、連合艦隊は壊滅寸前の第一八軍を救出するため、ニューギニアへの突入を決定。二倍以上の戦力差を前に、皇国の命運は―?そして柱島泊地にはあの巨艦の姿が!

昭和18年も後半に入り、トラック基地攻防では新鋭戦闘機「剣風」を配備。米軍もB17に加えてB-24リベレーターを投入して激しい攻防を繰り広げています。
海上では正規空母2隻という手痛い損害を被りながらも米軍を撃退。なんとか均衡を保っている状態と言えましょうか。
しかし、アメリカは今までの太平洋上の島嶼伝いではなく、陸地沿いにフィリピン奪回という目標を定めたのです。
そこには思うように戦果があがらない海軍ではなく、陸軍が主役を担うこと。
翌年11月の大統領選挙に合わせて国民の目にもわかりやすい成果をあげ、史上初の四選を狙うルーズベルトの思惑がありました。
東西を半分ずつ取り合っていたニューギニアでは、米軍が国力に物を言わせて10万という大軍と豊富な支援戦力を投入してきたため、守備していた兵力3万を擁する陸軍第18軍を圧倒。
特に過酷な環境によって戦闘だけでなく伝染病などに冒されて兵は斃れていき、支援物資を満載した輸送船、果ては軽巡駆逐艦によるネズミ輸送さえも執拗な妨害のためになかなか現地に届かないという状況で、日本軍の兵士たちは満足な食料や装備を持てずに撤退を繰り返していました。
そこでついに大本営ニューギニアを放棄。引いて守りを固めることにします。
第18軍の撤収のために海軍は可能な限りの戦力を回すのですが…。
一方でヨーロッパ戦線では逆襲に転じたイギリスそして米軍がドイツの継戦能力を削ごうと昼夜を問わずに大規模な空襲を繰り返していました。
しかし、ドイツ軍では史上初のジェット戦闘機Me262を投入するなどして抵抗。
連合国は豊富な軍事力だけでなく、イタリアとソ連への外交によっても枢軸側を追い詰めようとしていたのでした。


日本は「剣風」、ドイツはMe262を配備して懸命に対抗していますが、全体的に枢軸側が押されている印象を受けますね。
これでも日本はイギリスとは不戦条約を結び、イタリアが参戦せずにドイツの兵器製造を担い、ソ連とも国境で睨みあっているだけ史実よりましな状況です。あとMe262が爆撃機じゃなくて最初から防空戦闘機として運用されているのも地味に大きいでしょう。
さて、メインはニューギニアを巡る陸軍支援(日本は撤収、米軍は増援妨害)のために可能なかぎりの戦力を差し向けた海軍同士の戦いです。
ちょうど主力となる機動部隊がどちらも戦力回復の時期にあるため、旧式戦艦同士の戦いとなりました。
日本は比叡、霧島、榛名。米軍はペンシルバニアを始めとする開戦直後に失われた太平洋艦隊の生き残り3隻。
いささか舞台としてできすぎの感はありましたが、こうして旧式戦艦が同等の戦力で撃ち合うのは架空戦記ならではでしょう。
さらに戦艦同士の決戦では省略されがちな巡洋艦駆逐艦が見せ場を作ったのが良かったです。
米軍はこれまで敵地での敗戦が多く、熟練した兵士が多数失われたために航空機や軍艦というハードはいくらでも作られても、乗り込む人の方に未熟者が増えている弊害があちこちに見られます。
昔のシリーズではその点があまり考慮されなくて、負ければ負けるほどに強くなっていく理不尽さを感じたものですが、最近は考慮されているようです。
あと、当然のようにニューギニアでは撤退が決められて、しかも乗り込むのが軽巡駆逐艦など収容力が低いので武器も廃棄してます。
そのあたりは史実とは大違いですが、この世界ではさほど人命を軽んじてはいない方針になっているのだと脳内補完しておきました。


そして、いよいよ日本としては南方資源帯の鍵を握るフィリピンを巡っての決戦が次回以降に展開するのでしょう。
日本側としても、単に撤収したのではなく、なんらかの考えがあるように思えますね。
実は撤収の支援でいきなり大和が登場するかとちょっと期待しましたが、さすがにそれは無かった模様。
次回以降、フィリピンを巡る戦いで武蔵*1と共にサウスダコタ級やミズーリ級とやりあうんじゃないですかね。

*1:史実じゃレイテに辿り着く前に沈んだ因縁がある

貫井徳郎 『壁の男』

壁の男

壁の男

内容紹介

ある北関東の小さな集落で、家々の壁に描かれた、子供の落書きのような奇妙な絵。
その、決して上手ではないが、鮮やかで力強い絵を描き続けている寡黙な男、
伊苅(いかり)に、ノンフィクションライターの「私」は取材を試みるが……。
彼はなぜ、笑われても笑われても、絵を描き続けるのか?

寂れかけた地方の集落を舞台に、孤独な男の半生と隠された真実が、
抑制された硬質な語り口で、伏せたカードをめくるように明らかにされていく。
ラストには、言いようのない衝撃と感動が待ち受ける傑作長篇。

舞台は北関東の小さな町。
片田舎の例に漏れず、少子高齢化が進んだ静かな町が話題を呼んでいるという。
町の家々の壁に堂々と絵が描かれてあるのですが、技巧などない平面的な絵で小学生低学年の作と言ってもいいくらい。
だが、色鮮やかで力強さを感じさせる絵柄は見ているだけでなんとなく心が奪われてしまう。
そのためにSNS上でも話題となって、町には観光客が訪れるまでになっているというのです。
それを知ったノンフィクションライターは現地に取材に訪れて、絵を描かせた家の人に話を聞いてみたところ、最初から観光地化を狙ったわけでもないし、強引に描かれたわけでもない。金銭の授受さえ発生していないと聞いて驚いてしまいます。
そこで当の本人に取材を試みるが、伊苅という名の寡黙な50男は多くを語ることなく、謎は残るまま。
彼はどんなそれまでどんな半生を送ってきたのか?
どうして壁に絵を描くようになったのか?


最初は東京での仕事を辞めて生まれ育った町にUターンしてきた伊苅が亡き母のアトリエを改修して小学生相手の学習塾(受験というより授業の復習程度)を始めたところ。
地元出身者なのですぐに溶け込めるだろうと思ったが、なかなかうまくいかなくて、かつての同級生をきっかけに少しずつ生徒が増えていきます。
そのうち、塾の中の白い壁が気になり、突然絵を書いてみようと思い立ち、教え子たちと子供っぽい絵を描いていきます。
塾の中が絵で埋まると今度は外の壁へ。一度書き始めると、心の奥の情熱に駆られたように稚拙な絵を書きたくなったのです。
その頃、かつて仲良かったのに東京に進学することで仲違いしてしまった幼馴染が子を事故で亡くしてしまいます。
ある日、幼馴染は伊苅が壁に描いた絵を見て、自宅の壁にも書いて欲しいと頼むのです。
伊苅が描いたのは亡くした女の子の絵。
次いで、近くにできたスーパーのために商売が苦しかった雑貨屋の主人は駐車場に面した白い壁になんでもいいから目を惹く絵を描いてくれということで巨大な象の絵を描きます。
そうしてそれぞれの事情に絡みながら一軒ずつ伊苅の絵が増えていき、物珍しさから見に来る人も増えて、静かに衰退しつつあった町は少しずつ変わっていくのでした。


そうして、ノンフィクションライターの取材と並行して、伊苅の過去を遡っていきます。
ある日突然、難病に罹ってしまった娘・笑里。
稼ぎの関係で父親の伊苅が休職して苦しい闘病生活を乗り越えたのに5年後に再発してしまう。
看護のために退職して娘に付き添うも、脳に転移した腫瘍は笑里の体を蝕んでいって・・・。
さらに過去に遡り、東京で働いていた伊苅が大学の時にほのかな想いを抱いていた同級生の梨絵子に再会し、交際の後に彼女の特殊な事情を踏まえた上で結婚するも、娘の看病の合間に破局してしまうまで。
中学生時代の伊苅の家は工場勤務の父と美術教師の母がいたが、絵の才能を開花させた母が二科展に三年連続で入賞という快挙を成し遂げるも、それを素直に喜べない父は酒に逃げて嫌味を言うしかない状態でした。
そして最後は工場に出向していた25歳の伊苅がある社員と出会い意気投合。
同い年の彼は同じく孤児院出身の妻と結婚しており、家族ぐるみの交際を続けます。
子が欲しかった彼らのもとにようやく女の子が授かり、笑里と名付けられて・・・。


謎解きめいた要素もあるヒューマンドラマというのでしょうか。
伊苅が母のアトリエに対して抱いていた複雑な想いや父親のようになりたくなかった理由。
梨絵子が母親として娘に執着しなかった理由。その他諸々。
読み終えるといろいろと感慨深いものがありました。
最後の孤児院出身の夫妻と交流を持ったくだりは明るい雰囲気なのにどこか暗い予兆を感じさせるのが辛くて。生まれた女の子に笑里と名付けられて、そういうことかと。
最後の一行で伊苅がへたくそな絵を描くようになった理由が明かされるのですが、その予兆はかなり前の方で示唆されていましたね。
結局、ノンフィクションライターには真相まで辿り着きませんでしたが、平凡そうに見えた伊苅の半生は波乱万丈とまでいかなくても、深い悲しみが横たわっていて、幸せを求めていた男が経験した数々の別れはぐっと胸に迫るものがありましたね。
そんな彼が絵を書き始めようとした心境は他者が簡単に入り込める領域ではないのは確かです。