9期・60〜63冊目 『蒼穹の昴1〜4』

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)

蒼穹の昴(1) (講談社文庫)

蒼穹の昴(2) (講談社文庫)

蒼穹の昴(2) (講談社文庫)

蒼穹の昴(3) (講談社文庫)

蒼穹の昴(3) (講談社文庫)

蒼穹の昴(4) (講談社文庫)

蒼穹の昴(4) (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう―中国清朝末期、貧しき糞拾いの少年・春児は、占い師の予言を通じ、科挙の試験を受ける幼なじみの兄貴分・文秀に従って都へ上った。都で袂を分かち、それぞれの志を胸に歩み始めた二人を待ち受ける宿命の覇道。万人の魂をうつべストセラー大作。

清朝末期、貧しい暮らしの中で幼いながら燃料となる糞拾いで生計を立てていた李春雲(春児)。
そして郷紳*1の次男である梁文秀は品行方正で親の期待高い長男と違って素行の悪い不良と知られていました。
春児の亡き長兄が文秀の悪友であったために身分を超えて義兄弟の立場であった二人がかつて都で高名だった占い師・白太太によって予言を受ける場面から始まります。
梁文秀は科挙を優秀な成績で修めて官僚となり、やがて天子の傍に仕えることになるであろう(同時に苦難の道をゆくとも)。
そして春児は老仏爺(西太后)が握っている天下の財宝をその手中に収めることができるだろうという途方もない内容でした。


後に文秀は科挙の本番である会試、そして最後の殿試を首席で通って予言通りエリート官僚への道を進みます。
一方で春児は文秀のお供で都見学が叶った以外は変わることなく、おまけに兄や母を失ってどん底の状況。このまま貧困の中でみじめに死ぬくらいならばと一大決心して自ら去勢(浄身)した上で宦官としての宮仕えを目指します。かつての予言を心の拠り所にして。
数年後に宮廷で二人は再会するのですが、官僚と宦官の交流が法で禁じられていることに加えてそれぞれ天子と西太后のもとに仕える立場上、対立する大きな流れへと身を委ねてゆくことになるのです。


いつか読もうと思っていた浅田次郎の代表作。
国史もの長編ということで、嫌いじゃくてむしろ好きなんだけどなんとなく手を出しそびれていました。
ある日なにげなく図書館で手に取って読み始めたのですが、これが見事にはまりました。
アヘン戦争太平天国の乱など内憂外患に苦しむ清国末期の現状や宮廷の習慣・役職など歴史用語が頻出しますが、文体が平易かつ描写が巧みなのでわかりやすい。
主人公である春児と文秀は架空の人物(モデルはいるらしい)なのですが、彼らを通して描く清朝の人物描写が実に生き生きとしています。
例えば李鴻章は今まで日本の視点で敵側の政治家として読む機会が多かったのですが、清朝視点で見るとこれまただいぶ印象が違って当時の人物の中では傑出していますね。
李鴻章と言えば日清戦争で知ったのですが、日本が初めて国を挙げての戦争だったのに対し、清側はほぼ彼の軍(北洋軍)だけが戦って、かつ早期に講和したことを思うとその背景にはいろいろ想像できるものがあります。
西太后については昔見た映画の印象が強すぎて、ライバルの妃や肉親でさえ次々と残忍な手口で殺害した権力の亡者という人物像だったのですが、情に篤く聡明なあまりに前途多難な国の行く末を一手に引き受けているという発想で描かれているのが新鮮でしたね。
その現状を招いた黒幕として名君として名高い乾隆帝*2がいるわけで、彼が手中にして代々受け継がれていたはずの龍玉の行方がその後の鍵を握っているような気配がします。


前半の見どころはやはり極貧の生活から脱すべく、徒手空拳の春児が老公胡同*3での修行の日々を経て、宦官として成りあがっていく様でしょう。
太后の急な要望による劇での代役を見事果たしたことから寵臣として仕えることになり、私欲なく気配りもできることから人望を集めて数ある宦官の中でも3番目の地位にまで駆け上っていきます。
そして諜報担当となって次第に文秀が属する皇帝親政を目論む一派と太后側近との争いの渦中にて大きな役割を果たすことになっていくのです。


後半は遂に始まった光緒帝親政に伴って勢いを得た変法(洋務)運動、そして巻き返しを図る守旧派との争いが列強の思惑も交えて激しさを増してゆく。
ますます衰える清国において、混乱を極めた北京や天津を舞台に岡圭之介やトーマス・バートンといった架空の外国人記者の第三者目線での描写も入り混じっていきます。
思い出したようにたまに登場する占い師・白太太が主要人物の先行きを暗示していて、いい味出していますね。
ただ朝廷内部が中心なので人間ドラマとしては優れていますが、歴史ものとしては大局的にどのような状況となっているかがわかりにくかったです。
袁世凱や栄禄のような良くも悪くも強烈なイメージを残した人物がいた一方で、譚嗣同のように歴史の陰で散っていった敗者の痛切な姿に強い印象を抱きました。そのあたりは日本の幕末で志半ばで散って行った志士たちに通じるものがありましたね。
本作は戊戌の政変(変法改革の失敗と守旧派のクーデター)にて明暗がくっきり分かれた春児と文秀の別れによっていったん物語を閉じましたが、その後を描いた続編があります。*4是非そちらも読んでみたいですね。

*1:地方の郷士。村長的な立場か

*2:西太后の前に老人姿で登場して会話する

*3:宮廷を追われた宦官たちが住んでいる

*4:袁世凱に敗れて地方に逃げた王逸が死を覚悟した時に出会った少年というのがあの毛沢東であり、その教師を務めることになるのが遠い未来の展開を予見できる

いつの間にか口うるさくなってしまってる

やはり男子よりも女子の方が精神的な成長が早いのか、小学5年ともなると親の言うことを素直に聞かなくなります。
よく言う口癖。
「わかってる」(→実はわかってない)
「今やろうと思っていたのに」(→大人でもやっていないことを指摘された時に使う言い訳)
「もーいい!」(正論で言い負かされると出てくる言葉)
反抗期の序章というのかな、言い合いになってくると、とにかくこちらの言うことを認めたら負けとでも思ってしまうような気がします。


世の中には子どもの資質と親の教育の賜物か、一々言われなくとも何事も要領良くこなすことができる子がいるようです。
しかしうちの娘はそんなことなく。言わなきゃ勉強しないタイプの上に不器用なもんで地道にコツコツやらなきゃ成果が出ない。
先のことを考えて計画的に行動できず目先の楽しみに走ってしまう、ごく普通の子どもですね。
親としては(かつて自分も辿ってきた道でもあるので)口を酸っぱくして言うのですが、なかなかわかってくれない。むしろそれをうるさく思っていることはみえみえです。


つい先日の話。
小学校が前期後期制になった関係で、10月に秋休みが一日あります。金曜日なので三連休になるのですね。
それはいいのだけど、なぜかすごい量の宿題が出ていたのです。
普通に考えたら丸三日間かかりそうなくらい。
前からの約束で、休みとなる金曜日を利用して仲良い友達と母子同士で東京に遊びに行ったので、実質宿題できたのは土日の二日間。
それでも娘は普段通り余裕でアニメ見たりゲームもしていたり。
土曜の時点で遊び優先だと後になるほどしわ寄せがきて大変だぞ、と言ってはいたものの「わかってる」って返すばかり。
結局、日曜夕方に終わらせる予定がオーバーして夜8時くらいまでかかってしまいました。


勉強だけでなくピアノや片づけにしても、親が「やれ」と言って素直に聞く年頃じゃないので、こっちもあの手この手でやらせるよう考えているのですが本人なりの理屈とぶつかることもしばしば。
感情的に言い合いになるのも嫌だけど、変に意地っ張りなところもあるのでこっちもイライラさせられます。
子どものためを考えてこうした方がいいよと言うこと自体が本人にとってはいつものうるさい説教と感じてしまうのですよね。
とはいえ本人に任せきりでは後から泣く羽目になるのは目に見えているので、つい暢気すぎる娘を見てると口が出てしまい、あー口うるさい親になってしまっているなと思う今日この頃です。

9期・59冊目 『ハイスクール・パニック』

バックマン・ブックス〈2〉ハイスクール・パニック (扶桑社ミステリー)

バックマン・ブックス〈2〉ハイスクール・パニック (扶桑社ミステリー)

内容(「BOOK」データベースより)
〈二年前のことだ。そのころから、ぼくのあたまはおかしくなり始めた―〉ぼくの名前はチャーリー・デッカー。プレイサーヴィル・ハイスクールの最上級生だ。ぼくは、代数のアンダーウッド先生と、歴史のヴァンス先生を父のピストルで射殺した。あっという間のできごとだった。しかし、だれもいまおこっていることを信じられない。警官隊がやってきてぼくたちを遠巻きに包囲している。ぼくとクラスメートたちは日常世界から切り離された世界に漂いだした。まるで白日夢のような、しかし緊迫した時間がながれていく。五月のある晴れた一日、教室で一体なにがおこったのか?モダンホラーの巨匠スティーヴン・キングが高校生の不安定な心の世界を、同世代の視点からあざやかに描いた、異色の青春サスペンス小説。

ハイスクールの問題児チャーリー・デッカーは校長に呼び出されて面談を受けるも、その説教を一蹴。
戻りがてら、銃と弾薬を取り出してロッカーに火を放ち、そのまま教室に入って教師を続けざまに射殺しクラスメイトを人質に立てこもります。
校長や精神科医*1による説得には悪口雑言で返すのみ。
ついに学校に警察が駆けつけるも、人質がいるために手が出せません。
もっともチャーリーは教室のクラスメイトを撃つつもりはなく、奇妙な雰囲気の中でチャーリー主導のホームルームが開かれたのでした。


実際に学校での銃乱射事件が発生したために著者自らの判断で絶版になった作品です。
とはいえ、とち狂った生徒とか外部から侵入してきた人が銃を乱射して無差別に人を殺して・・・という内容でもなし。
パニックとなっているのは周囲の大人のみ。
渦中にある生徒たちはいたって普段通りというか、明らかに事態を面白がっている者さえいるのです。たった一人、優等生のテッド*2を除いて。
一見奇妙にも思えるけど、そんなものなのかもしれない。あのチャーリーがまた変わったことを始めたぞ、くらいな。そう思わせるものがありました。
大人の干渉を排した中で始まったホームルームでは誰もが本音で語り出すようになります。親との葛藤を始めとする人間関係の悩みとか性のこととか。
例えて言うと修学旅行の夜みたいな。そんな独特な雰囲気を感じましたね。
チャーリーのスクールジャック(?)が唐突すぎて、本当に意図していたのかは最後まで確信できなかったですけど。
十代はもうだいぶ昔のことですけど、少しあの頃の気持ち(大人や社会に対する反発とか将来に対する不安とか)を思い出させる作品でした。

*1:今でいうスクールカウンセラー

*2:ホームルームの中では大人の意に沿う裏切り者扱い

9期・58冊目 『殺戮にいたる病』

殺戮にいたる病 (講談社文庫)

殺戮にいたる病 (講談社文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
永遠の愛をつかみたいと男は願った―。東京の繁華街で次々と猟奇的殺人を重ねるサイコ・キラーが出現した。犯人の名前は、蒲生稔!くり返される凌辱の果ての惨殺。冒頭から身も凍るラストシーンまで恐るべき殺人者の行動と魂の軌跡をたどり、とらえようのない時代の悪夢と闇を鮮烈無比に抉る衝撃のホラー。

冒頭で犯人による最後の犯行場面らしいエピローグが描かれるという変わった形式で幕を明けます。
で、結果的にその場に居合わせた3名の視点で物語が綴られていきます。
容姿も学力にも恵まれていながらも毎日を虚しく生きていたが、「真実の愛」を求めて凶行を繰り返す主人公・蒲生稔。
息子の部屋を事細かにチェックする内に、息子が世間を騒がせている事件の犯人ではないかと疑心暗鬼になってゆく主婦・蒲生雅子。
定年退職した元警部で妻を亡くして間もない樋口は、妻の担当だった看護師と個人的に親しくなったが、彼女が蒲生稔の第3の犠牲者となったために事件に関わっていく。


女性の首を締めて殺害した上で凌辱を尽くす。
まさに死んで冷たくなった相手に興奮するというネクロフィリア
しかも引き続き愛するために乳房や性器を切り取って持ち帰るという所業。
そしてその快楽が忘れられず、新たな標的を求めて夜の街を彷徨う。
普通の感覚からしたら、その場面を想像すると吐き気を催すほどの凄惨でおそましい描写が続きます。
それでもサクサク読めてしまったのは不思議。
今までの読書歴から自分にある程度グロ耐性があったということと、三者の視点を順に淡々と描かれるので、意外と客観的に読めたからでしょうか。
息子のゴミ箱の中身まで入念にチェックし、自慰の回数まで把握している蒲生雅子の章も別の意味で気持ち悪かったですけどね。


ついに樋口らが犯人の足取りを掴んでからのクライマックスで訪れる疑念と衝撃。
正直、読み終えた後に茫然となってしまいました。
振り返ってみれば違和感が生じた部分*1もあることはあったのですが、視点の切り替えが効果的なので、初見で気づくのは難しいでしょう。
見事な叙述トリックでした。


そういえば、樋口が犯人像を専門家に相談してプロファイルする過程で言及されていたのがアメリカで実在した殺人鬼*2エド・ゲイン。
『オリジナル・サイコ―異常殺人者エド・ゲインの素顔』
奇しくも母親の存在が精神的に影響を与えていたというのが共通しています。
死してなお母親に支配されていたエド・ゲインが哀れに思える部分があるのに対して、原点に戻って想いを遂げようとした主人公の行為(かつ直前に主人公を止めようとして返り討ちにあってしまった人物も含めて)がいっそう衝撃的な結末として後味の悪さを残してしまいました。

*1:二人目の被害者である少女にいきなり「おじん」と呼ばれたことや稔の中の母親像

*2:というかネクロフィリアとしての所業で悪名高い

9期・57冊目 『プラチナデータ』

プラチナデータ (幻冬舎文庫)

プラチナデータ (幻冬舎文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
犯罪防止を目的としたDNA法案が国会で可決し、検挙率が飛躍的に上がるなか、科学捜査を嘲笑うかのような連続殺人事件が発生した。警察の捜査は難航を極め、警察庁特殊解析研究所の神楽龍平が操るDNA捜査システムの検索結果は「NOT FOUND」。犯人はこの世に存在しないのか?時を同じくして、システムの開発者までが殺害される。現場に残された毛髪から解析された結果は…「RYUHEI KAGURA 適合率99.99%」。犯人は、神楽自身であることを示していた―。確信は疑念に、追う者は追われる者に。すべての謎は、DNAが解決する。数々の名作を生み出してきた著者が、究極の謎「人間の心」に迫る。

犯罪防止を目的としたDNA法案*1によるデータベース構築と、天才数学者・蓼科早樹が発明した画期的なDNA検索システムにより、毛髪一本でかなり詳細な人物像が絞り込めるようになった近未来が舞台。
システムの責任者である警察庁特殊解析研究所の神楽龍平(少年時代に陶芸家である父の自死をきっかけに二重人格・リュウを発症。反転剤を使って1週間に1度10時間だけリュウと人格反転する)。
電トリ(電気トリップ)*2使用による殺人事件捜査に携わり、システムによる劇的な効果を目のあたりにした警視庁捜査一課の浅間警部補(しかし本人は昔気質の刑事でコンピュータなどには疎い)。
この二人を軸にして物語が展開していきます。


もはや殺人事件において地道な聞き込みは不要になり、警察はシステムの指示通りに犯人を逮捕するだけというあっけないものになった結果、検挙率も大幅に上がったのですが、ある日容疑者がまったく検索にかからない「NF(Not Found)13」という結果を示した事件が発生しました。
その件を報告がてら、神楽は開発者である蓼科早樹に会いに行ったところ、厳重な警備の隙をついて彼女は一緒にいた兄と共に殺害されてしまいます。
しかも現場に残された毛髪を分析したところ、神楽自身が容疑者として出る結果に。
神楽がリュウに人格反転している間に事件に関わったのか?
どうやって犯人は監視カメラの隙をついたのか?
そして銃痕からNF13が使用した拳銃と同一であることから一連の事件に関わっている?
数々の謎を残したまま、警察から追われる立場となった神楽は蓼科早樹が最後に残したプログラム「モーグル」を探す旅に出ます。それが謎解きの鍵を握るであろうと信じて。
そして真実を知りたい浅間は上からの指示に逆らい独自行動の末に、神楽との協力をはかるのですが・・・。


もともとは映像化を意識していたというだけあって、画期的なDNA鑑定システムに精神障害など科学的要素をふんだんに取り入れながらも、専門的な説明は最小限にして次々に生じる謎を追う、ストーリー性重視の非常にテンポ良い作品に仕上げていますね。
これってテーマがテーマだけに、作家によってはもっと重厚で密度の濃い作品になるかもしれないです。
でもそこはばっさりやっちゃっているので、場合によっては不満に思える部分が出ることもあるわけで。
例えば

  • 物語の重要なアイテム(DNA検索システムと電トリ)のテクノロジーや効果について、もっと詳細な説明があっても良かったよね。
  • 神楽の前に現れた白いワンピースの少女の存在が最後まで曖昧なままだった。
  • 連続殺人事件の真犯人の動機が弱かったことも含めて結末が尻すぼみ。

すんなり読み終えたのですが、後になってからいろいろと考えてしまいました。

*1:義務ではなく医療機関での任意提出となっている

*2:脳に電気で刺激を与えてトリップ体験ができる装置で、麻薬に変わって若者の間に流行する

お尻が擦れる

現在私服通勤なので、だいたい四本のズボンを仕事用と休日のお出かけ用に履いていってる(休日のみ別途ジーンズを履くことがある)。
それで気づいたのだけど、年季が入ってくるとお尻の右側の部分が特に擦れるらしい。
一つ目二つ目の時はたまたまかと思っていたけど、三本目も同じ所が擦れてくるとまたか!と思ってしまった。
中でも最初に擦れてきたズボンはもう破けてポケットに入れると落ちるくらいの穴が開いてしまった。これは恥ずかしい。

基本デスクワークで通勤電車内でも座っている時間が長いこと。それに右側のポケットは定期券や財布を入れているのが影響しているのかもしれない。
あと、左側は擦れていないってことは右利きなのも関係しているのだろうか。

そういやスーツを着ていた時は破けるまでいくことはなかったが、やはり年季が入ると擦れて薄く透けるようになってしまったので履けなくなった覚えがある。
毎日履くものだし、消耗するのは仕方ないか。
そういえばスーツ時代からよく買っていた紳士服店が2年ほど前に閉店して以来、ズボンは買っていなかった(シャツ等は別の店で買ってる)。
4本目が擦れてしまう前に新しく買うしかないかな。

9期・56冊目 『雀蜂』

雀蜂 (角川ホラー文庫)

雀蜂 (角川ホラー文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
11月下旬の八ヶ岳。山荘で目醒めた小説家の安斎が見たものは、次々と襲ってくるスズメバチの大群だった。昔ハチに刺された安斎は、もう一度刺されると命の保証はない。逃げようにも外は吹雪。通信機器も使えず、一緒にいた妻は忽然と姿を消していた。これは妻が自分を殺すために仕組んだ罠なのか。安斎とハチとの壮絶な死闘が始まった―。最後明らかになる驚愕の真実。ラスト25ページのどんでん返しは、まさに予測不能!

小説家の安斎は前夜に妻とワインを飲んだ後の記憶が途切れており、気がついたら山荘の寝室に取り残されていました。
そして部屋には不吉な羽音が。
アレルギー体質により過去に強いアナフラキシー症状が出たため、もう一度刺されると命の保証はないと医者に念を押されていた安斎にとって、雀蜂は天敵と言ってもいい存在。
それがなぜ11月下旬のこの時期に現れたのか?*1
一緒にいたはずの妻は姿を消し、車のキーは無く、PCや電話などの連絡手段は(故意に部品が外されていて)絶たれて吹雪に閉ざされた山荘に一人。
妻の夢子とその同級生である昆虫生態学者の三沢、その二人が仕組んだ罠と見做した安斎は何としても生き延びるため、雀蜂との決死の戦いを始めるのですが・・・。


ツッコミどころ(後述)はあるものの、もう一度雀蜂に刺されたらお終いである安斎が山荘内にある材料を駆使してあの手この手で雀蜂と戦うさまはさすがに見どころではあります。
密室で雀蜂の大群に襲われるなんて、虫嫌いな方にはなお一層ホラーになることでしょう。
でも宣伝文句に書かれた予測不能のどんでん返しは、それを期待して読んでみただけに正直ガッカリでした。
あれだけ伏線があれば予測不能でもないし、「ふーん」で終わる程度。


【ツッコミどころ】

  • 体に付いたワイン洗い流すために安斎は休息を兼ねて浴室へ行くが、そこでも換気口からやってきた蜂と激闘。しかし眼鏡をしたままじゃレンズが曇ってそれどころじゃないはずだが。
  • 通常、11月下旬の雪が降るような山の気候では蜂は活動できない。でも山荘内は暖房があるから活動できるらしい。主人公はわかっていながらも窓を開けて冷気を入れるより、あえて苦闘の道を選んでいる。
  • 夢子が山荘からいなくなった理由はわかったが、三沢と一緒に来た杉山の唐突な登場と会話がよくわからない。
  • 最後のどんでん返しのおかげで、勝手知ったるはずの山荘内でのバトルに矛盾が生じてしまった。

結局、閉ざされた山荘での雀蜂と激闘というプロットにラストのどんでん返しを活かすためにいろいろと齟齬が生じてしまったのかなと思われます。作品自体はとても読みやすかったですけどね。
amazonでも酷評のレビューが目立ちますが、やはり数々の名作がある著者だけに期待が膨らんでしまう分、見る目が厳しくなってしまうのかもしれません。

*1:山荘内はオイルヒーティングによる暖房があったという設定